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君、おもての色かはる心地して恐しうもかたじけなくも嬉しくもあはれにも方々うつろふ心地して淚落ちぬべし。物語などしてうちゑみ給へるがいとゆゝしう美しきに、我身ながらこれに似たらむはいみじういたはしう覺え給ふぞあながちなるや。宮はわりなく傍痛きに汗も流れてぞおはしける。中將はなかなかなる心地のかき亂るやうなればまかで給ひぬ。我御方に臥し給ひて胸のやるかたなきを程過ぐしておほい殿へとおぼす。おまへの前栽の何となく靑み渡れる中に床夏の華やかに咲き出でたるを折らせ給ひて、命婦の君の許に書き給ふ事多かるべし。

 「よそへつゝ見るに心はなぐさまで露けさまさるなでしこの花。花に咲かなむと思ひ給へしもかひなき世に侍りければ」とあり。さりぬべきひまにやありけむ、御覽ぜさせて「たゞ塵ばかりこの花びらに」と聞ゆるを、我御心にも物いと哀におぼし知らるゝほどにて、

 「袖ぬるゝ露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬやまとなでしこ」とばかりほのかに書きさしたるやうなるを喜びながら奉れる、例の事なればしるしあらじかしとくづほれて眺め臥し給へるに、胸うち騷ぎていみじう嬉しきにも淚落ちぬ。つくづくと臥したるにもやる方なき心ちすれば例のなぐさめには西の對にぞ渡り給ふ。しどけなくうちふくだみ給へるびんぐきあざれたる袿姿にて笛を懷しう吹きすさびつゝ覗き給へれば、女君、ありつる花の露にぬれたる心地して添ひ臥し給へるさま美しうらうたげなり。あいぎやうこぼるゝやうにておはしながら疾くもわたり給はぬ、なまうらめしかりければ、例ならず背き給へるなる