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行くさきの身のあらむ事などまでもおぼし知らず。唯年ごろ立ち離るゝ折なうまつはしならひて、今はなき人となり給ひにけるとおぼすがいみじきに、をさなき御心地なれど胸つとふたがりて例のやうにも遊び給はず。晝はさても紛はし給ふを、夕暮となればいみじうくし給へば、かくてはいかでかすぐし給はむと慰めわびて乳母も泣きあへり。君の御許よりは惟光を奉れ給へり。「參り來べきを、內よりめしあればなむ心苦しう見奉りしもしづ心なく」とてとのゐ人奉れ給へり。「あぢきなうもあるかな。戯ぶれにても物の始にこの御ことよ。宮聞しめしつけば侍ふ人々の愚かなるにぞさいなまれむ。あなかしこ。物のついでにいはけなくうち出で聞えさせ給ふな」などいふも、それをば何とも覺したらぬぞあさましきや。少納言は惟光に哀なる物語どもして「あり經て後やさるべき御宿世のがれ聞え給はぬやうもあらむ。只今はかけてもいと似げなき御事と見奉るを、怪しうおぼしのたまはするもいかなる御心にか思ひよるかたなう亂れ侍る。今日も宮渡らせ給ひて後安く仕うまつれ。心をさなくもてなし聞ゆななどの給はせつるもいと煩はしう、たゞなるよりはかゝる御すきごとも思ひ出でられ侍りつる」などいひて「この人も事ありがほにや思はむ」などあいなければ、いたう歎かしげにもいひなさず。丈夫もいかなる事にかあらむと心えがたう思ふ。參りてありさまなど聞えければ哀におぼしやらるれど、さて通ひ給はむもさすがにすゞろなる心地して、かるがるしうもてひがめたる事と人もや漏り聞かむなどつゝましければ唯迎へてむとおもほす。御ふみは度々奉れ給ふ。暮るれば例の大夫をぞ奉れ給ふ。「さはる事どものありてえ參