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なる御とぶらひを聞え置き給ひてかへり給ひぬ。げにいふがひなのけはひや。さりともいとよう敎へてむとおぼす。またの日もいとまめやかにとぶらひ聞え給ふ。例のちひさくて、

 「いはけなきたづの一聲聞きしよりあしまになづむ舟ぞえならぬ。同じ人にや」と、殊更をさなく書きなし給へるもいみじうをかしげなれば、「やがて御手本に」と人々きこゆ。少納言ぞ聞えたる。「問はせ給へるは今日をもすぐし難げなるさまにて山寺に罷りわたる程にて、かう問はせ給へるかしこまりはこの世ならでも聞えさせむ」とあり。いとあはれとおぼす。秋の夕はまして心のいとまなくのみ覺し亂るゝ人の御あたりに心をかけて、あながちなるゆかりも尋ねまほしき心も增り給ふなるべし。「消えむ空なき」とありし夕べおぼし出でられて、戀しくもまた見劣りやせむとさすがにあやふし。

 「手につみていつしかも見む紫のねにかよひける野邊のわか草」。十月に朱雀院の行幸あるべし。まひ人などやんごとなき家の子ども上達部殿上人どもなどもその方につきづきしきは皆えらせたまへれば、みこたち大臣より初めてとりどりのざえども習ひ給ふいとなし。山里人にも久しう音づれ給はざりけるをおぼし出でゝ、ふりはへ遣したりければ、僧都のかへりごとのみあり。立ちぬる月の廿日のほどになむ遂に空しく見給へなして、せけんのだうりなれど悲び思ひ給ふる」などあるを見給ふに、世の中のはかなさも哀に後めたげに思へりし人もいかならむ、幼き程に戀ひやすらむ、故みやすどころに後れ奉りしなど、はかばかしからねど思ひ出でゝ淺からずとぶらひ給へり。少納言ゆゑなからず御返りなど聞えたり。