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と、いふがひなき法師わらはべも淚を落しあへり。ましてうちには年老いたる尼君たちなど更にかゝる人の御有樣を見ざりつれば「この世の物とも覺え給はず」と聞えあへり。僧都も「あはれ何のちぎりにてかゝる御さまながらいとむつかしき日の本の末の世に生れ給ひつらむと見るにいとなむ悲しき」と目おしのごひ給ふ。この若君、をさな心地に、めでたき人かなと見給ひて「宮の御ありさまよりも勝り給へるかな」などのたまふ。「さらばかの人の御子になりておはしませよ」と聞ゆれば、うちうなづきていとようありなむと覺したり。ひゝな遊にも繪かい給ふにも源氏の君とつくり出でて淸らなるきぬ着せかしづき給ふ。

君はまづうちに參り給ひて日ごろの御物語などきこえ給ふ。いといたう衰へにけりとてゆゝしと覺しめしたり。聖の尊かりけることなど問はせ給ふ。委しく奏し給へば、「阿闍梨などにもなるべきものにこそあめれ。行ひのらうは積りて公にしろしめされざりけること」と尊がりの給はせけり。大殿參りあひ給ひて「御迎にもと思ひ給ひつれど忍びたる御ありきにいかゞと思ひ憚りてなむ。のどやかに一二日うち休み給へ」とて「やがて御送り仕うまつらむ」と申し給へば、さしも覺さねどひかされて罷で給ふ。我が御車にのせ奉り給ひて自らはひき入りて奉れり。もてかしづき聞え給へる御心ばへの哀なるをぞさすがに心苦しくおもほしける。殿にもおはしますらむと心づかひし給ひて、久しく見給はぬほどいとゞ玉のうてなに磨きしつらひ萬をとゝのへ給へり。女君れいのはひ隱れてとみにも出で給はぬを、おとゞせちに聞え給ひて辛うじてわたり給へり。たゞ繪に書きたる物の姬君のやうにしすゑられてうちみ