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一古事記の文章は日本の同化力を象徵する

 古事記は漢文の旣に發達せる後に書かれたものである。元明天皇和銅五年に成つたとして聖德太子の十七條憲法制定を去ること百八年。繼體天皇六年百濟五經博士段楊爾の來たのは更に其の前、九十二年。日本書紀の出來たのは和銅五年から數へて九年目。乃ち漢文全盛の時代に於て書かれた者。而して其の文體は一種特別だ。乃ち日本語で書いたのだが文字がないから漢字を借りた。而も漢字の意味を借り、又場合に由りては音を借りた。又漢文の轉倒を借りて「てにをは」關係を明かにせんとした。例へば

天地初發之時。於髙天原成神名。天之御中主神。次髙御產巢日神。次神產巢日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。

とあるの見ると。「於高天原」と「隱身」とは漢文の轉倒を借りたのである。「成神名」は漢文としては讀めない。唯漢文の意味を借りた文である。而も一字の成で「なり