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の魔除として立てる。其の村の娘や妻たる者は、早朝恒河の水を以て之に注ぎ、花冠を以て之を飾り、其の身を之に擦ると共に一定の呪文を唱し子寶を授からんことを願ふ。(以上出口氏の譯文に據る)

 其の前に身を屈めて、子寶を得んとする處など注意すべきである。之を廻りて「みとのまぐはひ」をなすと同じ思想の樣である。又其の形狀に就いては、

此種の陽的表象中には柱狀をなす者が多い。直立せる大陽莖が如何にして因襲的なる柱狀と變じたかを知ることは困難でない。卽ち大陽莖は常に柱狀をなすが故に、普通の柱狀の木又は石が其の表象として用ひらるゝに至つたのである。而して柱狀は容易に、迅速に又多額の费用を要せずして製することが出來、又明瞭に其の目的となるものを表示するが故に陽的表象中最も普通にして最も多數なる者の一となつたことは敢て怪しむに足らぬ。(同上)

 卽ち柱形となつて居たといふ點は注意すべきだ。日本に於ては柱を廻つて男女の大禮が行はれた。相ひ同じといふても宜いと思ふ。斯くして私は天の御柱を立つるは此種の宗敎的意味に於てする者ではないかと思ふ。