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立つべき基の成れるにて其の基も卽ち柱なればたゞ同じことなりといふて居るが、嶋を以て柱となすといふのと、嶋の中に柱を立てたといふのとは明かに違つて居る。古事記通玄解(吳來安撰)に曰く。

天之御柱。天之中標也。猶傘之柄處也。於今。北極星居所正下也。

と。大八洲經營の中心、目標地の意となすのである。書紀一書には

化作八尋殿。又化竪天柱。

とある。卽ち八尋殿以外に、天柱を竪てられたとするのである。穂積重胤日本書紀傳の說も亦大同小異である。其の他多くの說があるが所謂大同小異で別に擧げる必要もないやうだが聊か參考のため一ニを採錄する。舊事本紀は磤馭慮島に指立てたる天瓊矛を以て國中の天柱として居る。

以天瓊矛指立於磤馭慮島之上以爲國中之天柱

日本紀略正書は日本紀と同じく、磤馭慮島を以て國中の柱として居る。卽ち全國の中心である。

便以磤馭慮島爲國中之柱