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は言葉に因りて凡てのことが傅へられた。ヴェダの聖歌、日本の歷史,神話、猶太の傅說何れも複雜なるものであるが、耳から耳へと傅はつたものだ。言語を尊重する理由は此に在る。文字なき時代には言語は實に思想代表の絕對機關であつた。

ヨハネ傳に曰く。

太初に言あり。言は神と偕にあり、言は神なりき。この言は太初に神とともに在り。前の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり、この生命は人の光なりき、(......)

言は神といふ。言を以てー種靈妙の力ありとなしたのは明かである。又ヨハネの第一の書に

太初より有りし所のもの、我らが聞きしところ,目にて見し所,つらつら見て手觸りし所のもの、卽ち生命の言につきて云云

とある。萬葉集に

そらみつ日本の國は皇神の嚴しき國、言靈の幸はふ國と語り繼ぎ、言ひ繼げり。云云