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陣ノ尾等があり、野間崎には野間嶽があつて、野間神社が鎮座し、種々の傳説がある。半島の東部には烏帽子嶽・尾巡山・大野岳等があり、最南に開聞岳が秀でゝ居る。

 大隅の北部は霧島火山群があつて日向と堺を爲し、其の南には瓶臺山・白鹿岳等があり、更に南すると、高隈山脈があつて、大篦柄オホノカラ岳(一二三七米)・御岳(一一八二米)・横岳(一一〇二米)・白山等があり、北方には七岳・ビツサゴ岳・烏帽子岳等がある。高隈山は深山幽遽にして、古來民間の崇敬篤く、殊に三月四日には七岳参詣とて遠近の人士群集す。 高隈の東方、志布志地方には、宮田山・御在所嶽・笠祗嶽等があつて、日向に續いてゐる。大隅半島の南端には、東より國見山・甫與志岳・荒西山・六郎館岳・稲尾岳・木場岳等が連りて佐多岬に及ぶ、佐多岬は花崗岩より成り、南海を壓して壁立してゐる。

 以上薩隅兩半島の山塊の中間を南北に縦貫する鹿兒島灣より、更に東北吉松・小林附近に至る溝状の低地帯は陥没によつて生じたものと考へられてゐる。又東海の有明灣も陥没地帯と云ふ事が出來よう。  大隅半島の東縁部より、海を渡つて低山性種子ヶ島に至り、更に南方の喜界島等には第三紀層が發達し、此等の西南諸島中の主列と見るべき屋久島より大島・徳之島等を經て、沖繩島の北半から石垣島に至る島嶼は主として古生層、或は花崗岩より成り、其の内、屋久島は後者に屬し、島中の宮之浦嶽は海抜一千九百三十五米に達し、九州第一の高峰たる地位を占めてゐる。屋久島にはなほ多くの高山峻嶺ありて、總稱して八重岳と稱す、換言すれば、島全體を一つの山と云ふも適當である。

 火山は霧島山(韓國岳一七〇〇米)より南して、櫻島嶽(一一一八米)・開聞岳(九二四米)等の名山となり、南海に入りて、口永良部島・諏訪瀬島等の諸島となり、更にその南方、鳥島・久米島等に續いてゐる。 霧島火山は高千穂・韓國の兩火山群の並立により成り、多數の火口と圓錐峰とを列ね、幽遽なる霊地を形成してゐる。次に櫻島は鹿兒島市の對岸に聳えて眺望に富んでゐるが、其の東南隅は大正三年一月の噴火に因りて大隅半島に接續した。次に開聞岳は北麓に多くの爆發性火山湖(池田湖・山川灣・鰻池・鏡池・池底等)を残し、山は見事なる圓錐形を成して南海に臨んで聳立するが故に、附近の風物と和應して山水の絶景を一緒に蒐めた観があり、薩摩富士と稱へられて居る。