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「それで結構じゃ」と云って、スタスタと帰って行った。

 さて、万助の精神鑑定の事であるが、私はその前に、彼がいかにして殺人を犯し、いかにして、精神鑑定に附せられるに至ったかと云う事を、簡短ママに説明しよう。

 今から約三月ばかり以前の二月五日の夜十一時過ぎ、郊外S町のゴミゴミした小住宅区域の一角に、突如として銃声がとどろいた。恰度附近を密行中だったS署の刑事は、直ぐに銃声のした所に駆けつけると、一軒の家の表戸が開け放しになって、その中では、一人の男が、女房らしい女のまげの根っ子を捕えて、コン畜生と云いながら、踏んだり、蹴ったり、散々な目に会わせている所だった。

 刑事は直ぐに割って入って、ヒーヒー悲鳴を上げて、口惜くやしそうに身顫みぶるいしている女房を、乱暴な亭主から、無理やりに放した。すると、男は、

「旦那、こん畜生は、間男まおとこをしやがったのです。うぬ、どうするか見ろ」

 と云いながら、再び女房に打って掛ろうとした。刑事は、

「乱暴はせッ、静かに話をすれば、分る」

 と、男を抱き留めたが、この時に、ふと、畳の上に一挺のブローニングが転がっているのが眼についたので、ハッと思いながら、

「貴様はピストルを撃ったんだなッ」

 と怒鳴ると、男は急に思い出したように、顔色を真蒼まつさおにして、畳の上にへタへタと坐ってしまった。

「旦那、すみません。やっちやったのです」

「なに、やっちゃった」

「へい、間男のやつを、撃っちゃったのです」

「えッ」

 刑事は驚いて、だんだん訊いて見ると、彼が外から帰ると姦夫があわてふためいて出て来て、そのまま逃げて行こうとしたので、おのれッと叫んで、背後うしろから一発ぶっ放したと云うのだった。

「確かに、手応えがありました」

 そう云って、彼は今更大罪を犯したのを、恐れるように、ブルブルと顫えるのだった。

 刑事は驚き怪しみながら、外に出て見ると、家の前から二間ばかり行った暗闇に、洋服を着た紳士風の男が、うつ伏しママになってたおれていた。

 斃れていた紳士は、間もなく理学博士脇田市造と判明した。射殺した男は、云うまでもなく、八木万助である。



 刑事の急報で、ただちに現場に駆けつけて来た係官に対し、八木万助の妻は、極力姦通の事実を否認した。

「私はあの方が誰やら少しも知りません。今夜初めてお目にかかった方です。あの方は、今夜八時頃、八木万助さんのお宅はこちらかな、と云って訪ねて来られました。私は万助は留守ですと申しますと、困ったような顔をしておられましたが、では、もう少ししたら来ようと云って、帰って行かれました。そうして、十一時頃、又、訪ねて来られました。未だ帰りませんと云いますと、それは困ったなあと云って、しばらくモジモジしておられましたが、どうしても、今晚中に会わなくては困るから、ここで待たして貰おうと云って、玄関の所に腰を掛けられました。暫くすると、外の方に人の足音がしました