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「旦那、大そうな勢ですね。へッへッへ」

 あっ! と普通なら声を挙げる所だが、酒のために精神の朦朧としている土井は、格別大して驚きもせず振返って、一人の男が立っているのを見ると、振り上げたステッキを下して舌をもつらしながら云った。

「やあ、君、好い所へ来てくれたね。一体ここはどこなんだい。君」

「へッへッ」怪しい男は相変らず妙な笑いを続けながら「千束せんぞく町ですよ。だが、旦那は何をしているのです」

「何ね、ちよっとその、何か変った事がないかと思って、歩いていたんだが、いくら歩いてもりがないので、嫌になった所なんだ。君、すまないが、自動車の走っている通りまで案内してくれないか」

「お安い御用ですがね、旦那」

 彼はそう云って真正面まともに土井に向き合った。恰度、近くにあった薄暗い電燈が、彼の顔をすっかり照らし出すようになったが、土并は思わず一歩後へ下った。

 彼はもう六十近いかと思われる老人だったが、背も高くガッシリした身体で、土井位は容易たやすく捻じ伏せてしまいそうな赤銅色のつら構えで、殊に物凄いのは左の眉から頬にかけた、守宮やもりのへばりついたようなきず痕だった。それがために彼の人相は一層兇悪に見えるのだった。

「ねえ、旦那」彼は語り続けるのだった。「旦那は何か変った事が見たいと仰有おつしやりましたね。人殺しなぞはどうですかね」

「ええっ」

「人殺しを見たくはありませんかね」

 彼は二タニ夕と笑いながら土井の顔を見た。

「な、なに、人殺しだって。結構だね、見ましょう。是非見ましょう」

 少しずつ酔は覚めかけていたが、それでもまた普段の土井よりは遙かに度胸が坐っていた。それに弱味を見せたくないと云う考えが、幾分働いてもいたので、土井はきっぱり云ったのだった。

「見てくれますか」怪しい男は満面に嬉しそうなえみを浮べながら、「流石に旦那だ。旦那の元気なら、きっと承知してくれると思ったんだ。じゃ、お出で下さい」

「遠いのかい」

「何、直ぐそこです」

 土井は幾分警戒しながら老人について歩きだしたが、再びアルコールを含んだ血液が脳中に流れ込んだと見えて、精確な判断力を失いかけていた。

「人殺しとは素敵だな。これで深夜浅草をうろついた甲斐があると云うものだ」

 土井はそんな事を考えて少しずつ愉快になって来た。

「ねえ、旦那」怪しい老人は土井と肩を並べながら話出した。「旦那方はもし女房の奴が間男をしたらどうしますね」

「そ、それは」土井は意外な質問に面喰いながら、「人によるね」

「やっぱしなんですか、おかみに訴えますか」

「さあ、まあ、訴える人もあるだろうが、大抵は訴えないだろうなあ」

「じゃ、矢っ張っちまうんですか」