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がら、低声こごえで云った。

「誰だか知らないけれども、指輪の事は云わないで下さい、ね、きっとお礼するから」

 この様子を眺めていた男は、始ママめて腹を立てるのに気が付いたように怒号した。

「どこのどいつだ。断りなしに俺を撲った奴は!」

「へん、はばかりながら手前のような性質たちの悪い盗人にゃ、俺の名前は聞かされねえ。女に熱くなって銀行の金をくすねるような卑怯な奴は、俺達の仲間にゃねえんだ」

 男の顔は忽ち蒼白まつさおになった。ブルブル震えだして、口が利けなかった。

ざま見ろ!」想太は勝誇って云った。「手前達は紳士の――」想太はちよっとつかえた。彼には紳士に対する女性の言葉が急に出て来なかった。「何のかのたって、俺のようにに生活のために盗みをするものより余程心は汚いのだ。へボ盗人め、気をつけやがれ」

 次の瞬間彼の姿は消えた。



 それから暫く惣太は稼ぎに出なかった。さらって来た指輪を宿主のけいず買いの助五郎に見せると、この老爺おやじは踏み倒しやで、仲間から毛嫌いされているのだが、それでも十五円に買ってくれたので、生活のたつ間は稼ぎに出ないのが、惣太の定めだったからである。

 でも十五円の金は一週間とは保たなかった。

 一週間後に彼は又出かけた。洋館には懲りたから、今度は日本家をねらった。

 下町で、ちよっと妾宅と云った構えの粋な見つきの家が無人らしかったので、その家へ忍び込んだ。十二時はとうに過ぎていたのだが、奥の一間に近づくと、燈火あかりが洩れてコソコソ話し声が聞えママる。惣太は立止まった。

 女二人らしい。どうも聞き覚えのある声なので、そっとふすまの隙間から覗いて見ると、一人はまぎれもない先達せんだつて洋館にいた女で、今日は和服でだらしない風で足を投げ出して坐っている。驚いた事には、もう一人の女は例の暗闇から出て惣太を搔き口説いた女である。化粧などしてこざっぱりとした身装みなりをしている。

「結局あたいの負かね」

「そうともさ、お前さんが男をだまして金をとるには、いい身装をして、色仕掛けに限ると云ったからさ、あたいもふと逆らう気になって、汚い身装で泣き落しても男は誑せると云って、つい賭になったんだが、ああ旨く行こうとは思わなかったよ」

 おや、と惣太は耳を傾けた。

「あたいだって、成功していたんだがなあ。あの男はあの晚ちゃんとお金を持って来たんだものねえ。もっともあたいもまずかったの。例のから貰った指輪をはめていてね、あの男はそら嫉妬やきもちやきで、殊に例のと来ると、一層妬くんでしょう。それに何だか機嫌が悪くってね、あとで考えれば悪い訳があったんだが、その時は気がつかずさ、指輪を見られちゃ拙いと思ってそっと抜いて靴の中へ隠しちゃったり、お酒飲ませたり、そりゃ苦心したもんよ。ところがいつの間にか御存じの泥棒が出て来て、おじゃんさ。おまけにあの男の前で指輪の事を云い出して困ったわ、それから男の金も銀行から盗んで来たって事を知ってたのよ」

「あら、銀行から盗んで来たの」