水晶の角玉
一
実業家笠松繁造は薄日の射す縁側に出て、最近に手に入れた見るから古めかしい榧の柾目の碁盤を、光沢布巾を手にしながら、頻りに拭いていた。梅雨時で降り続いた長雨が、今朝方ちょっと霽ったので、泉水の鯉や鮒は水面に近い所を勢よく泳ぎ廻って、時々ボチャンと水音を立てたりしていた。
「石を買わなければならないな」
繁造はこんな事を考えながら、案外に好い碁盤なのでホクホクもので、終いに盤を仰向けにして、光沢拭きを掛け出したが、どうした機みか、足が一つポロリと抜けた。
「おや」
と思ったが、好い碁盤には足を嵌め込む穴に、その碁盤を拵えた碁盤師の銘が書いてあるという事で、一度足を抜いて調べてみようかなどと思ったりした事があったのでそれほど驚きもせず、取れた跡を覗き込んだが、穴の奥にまた小さい穴があって、それがただの丸や四角の形ではなく、変に角が多く、切口の所は八角ほどになっていた。
「おや、変だな」
今度は本気に意外に思いながら、取れた足を見ると、足の方にも変に角張った穴があいていて盤の方の穴とピタリと合うようになっていた。
「うむ。何か隠してあったのだな」
繁造はちょっと当惑したように眉をひそめたが、やがて思いついたように、他の三本の足を抜いて見た。この方には別に不思議な穴はあいていなかったが、漢字で、東南、鍵、蔵という文字が、一本の足の穴に二つずつ書かれていた。
暫く小首を傾けていた繁造は、そっと末の子の部屋に這入って、粘土細工用の粘土を取り出して、元の座敷に帰ると、奇妙な穴のあいている碁盤の足跡に入れて、上から足をグッと嵌め込んで、固まった所を見計らって、足を抜き粘土を取り出して見た。粘土は縦横幅共に六七分位に正しい形で、面の数が無数にある。恰度ダイヤモンドを磨き上げたような形をしていた。
「宝石が隠してあったと見える」
老実業家はまた少し怪しくなってきた空を、じっと睨みながら、暫く考えていたが、やがて彼は穴の跡を丁寧に拭いて、それぞれ足を嵌め込み、碁盤を重そうに抱えながら床の間の上に運んだ。
そうしてそれっきり、他の用事に紛れて彼はその事を忘れるともなく忘れてしまった。
二月ばかり経って夏の宵に、珍しく老実業家は着流し姿で、ステッキを振り振り京橋のある裏通りを散歩した。この四辺は小さい骨董店が沢山軒を並べている所で、どうかすると掘出物があるので、彼は暇があると好んで素見して廻るのだった。
彼はブラブラと歩いて行ったが、ふと通りかかった一軒の汚ならしい骨董店の飾窓に眼がつくと、彼は吸い寄せられるようにその傍に寄り、ピタリと足を留めて、熱心に中を凝視し出した。
飾窓の中は、お定りの煤で真黒になった怪しげな仏像だの、二三寸鯉口を寛げた刀剣、水牛の角、得体の知れぬ仏具などが、乱雑に並べてあったが、それらの物の中ほどに、小さい紫檀の置物机があり、その上に模様のよく分らなくなった古い袱紗を勿体らしく拡げて、その上に透き通るように美しい小さい多面体の水晶らしい石が置かれていた。
繁造の眼はその石の上に、その石を熔かしてしまいはせぬかと思われるほどの勢いでピタリと注がれていた。というのはその石の大さといい形といい二月前に彼が古碁盤の足の抜けた跡の奇妙な穴で型を取った粘土と、寸分違わぬように思えたのだった。
二
老実業家はツカツカと店の中に這入った。店には、頭髪を綺麗に分けた、ちょっとこうした骨董店の番頭とは思われない若い男が、店の方に尻を向けて新聞を読んでいたが、繁造の這入って来たのを素知らぬ風で、振向こうともしなかった。
繁造はむっとしたが、それでも、
「今晩は」と声をかけた。すると若者は渋々新聞を置
いて、振返ってうるさそうに、
「今晩は」と答えた。
「あの飾窓の中にある水晶の玉みたいなものね、あれ