Page:KōgaSaburō-Causality-Kōbun-sha-2000.djvu/9

このページは校正済みです

人夫婦は根掘ねほ葉掘はほりきゃつときゃつの友達の事を聞くのだ。きゃつはとうとう自分と友達の名を云わされて終った。

 年寄夫婦がしつこく聞いたのには訳があった。夫婦には一人の息子があったのだ。その息子は十年も前にアメリカへ行って終い、最初の一、二年は便もあったが、それからバママッタリ消息がないのだ。人の噂さママではアラスカへ行って金掘りをしていると云うので、もしやと思って聞いて見たのだ。

 所がどうだ、現在眼の前で自分達夫婦が介抱している男がしかも自分達の住んでいる家の沖合で、愛する一人息子を、しかも成功して帰って来た息子を、無慙にも沈めて終ったと云うのだ!

 夫婦は顔を見合して、あきれるばかりだった。

 それでももしや間違いかと、いろいろ尋ねているうちに、ふと砂金の袋を見ると、そこには彼等の一人息子の名がちゃんと書いてあるではないか。

 これはこうだった。二人の青年は船の沈む騒ぎに、ついお互の砂金袋を取り違えて背負ったのだった。だが、夫婦はそうは思わない。彼等の所へ飛び込んで来た青年は、息子を海へ沈めただけでなく、砂金の袋を奪った、いや事によったら、砂金欲しさに息子の命を奪ったのかも知れないと思ったのだ。これは無理もない推測だった。

 夜明前の一時間、暴風雨の勢はようやく峠を越したが、未だ天地は兇暴に荒狂うていた。その時に、老人夫婦はよろけこんだ男の耳許に、お前は自分達の最愛の息子の生命を奪ったのだと囁いて、砂金の袋の代りに大きな石を背負わして、手取り足取り、この岬の突端から、ドブーンと怒濤の中へ抛込ほうりこんで終った。

 それから、噂によると夫婦はすっかり元気がなくなって、一日黙って坐り込み、まれに訪ねる付近の里人にさえ、笑顔は愚か、口さえ滅多に利かなくなったと云う事だ。だが、誰だって、こんな出来事のあった事は知らないのだ。


 空の凄じい雄叫び、岸を嚙む怒声、砂まじりの雨は依然として衰えなかった。語り終った男は薄気味の悪い笑を浮べていた。額の疵が薄ぼんやりした光線の当り工ママ合だろう、奇怪な爬虫類はちゆうるいが這いずっているように見えた。

 黙って聞手になっていた頰傷の男はやおら口を切った。


三、二度目の暴風雨の夜

(頰に傷痕のある男の話)


 ふん、そう云う事があったのか。そいつは少しも知らなかった。が、そう聞けば大きママに思い当る事がある。

 お前さんの話から三年目、今から丁度三年前、度々云った通り、今晩のような大嵐よ。一人の旅人が路に迷った挙句あげく、真夜中だった、この一つ家を訪ねたと思いねえ。そいつは何でも元この辺の者だった。久しい前に遠い国へ出稼ぎに出て一度は小金をこしらえて、故郷を目がけて帰