爺さんも婆さんも永い事こんな所にいて、難破船や、打上げられた半死半生の漁師や船員達は再々見たので、格別驚きもせず、息も絶え絶えになっている、その男を親切に介抱したのさ。
男も追々元気を恢復してポツリポツリ話した事は、何でも小さな密漁船に乗込んでいたのが、この沖で嵐の為に難破したと云うのだ。この男は元からの船乗りじゃない。数年前に日本を飛び出して
所が、もう陸が見えると云う沖合で、暴風雨さ。砂金の袋を背負って、ボートに飛乗ったがたちまち転覆して終った。しかし、幸にもしっかり板片を摑んでいたので、沈みもせず、砂金だけはどんな事があっても放せるものか、山のような荒波に乗りながら、揉みに揉まれていたのだ。
暫くすると板片の端に泳ぎついて摑まる者がある。叫び合うと、それがアラスカの砂金掘りの仲間なんだ。きゃつも砂金の袋を
それは悲しい事実だった。
きゃつが板片に摑ると、板片はぶくぶく沈もうとするのだ。お互〔ママ〕に砂金の袋を放して終えば、その一枚の板片で、どうやら二人が浮べたかも知れない。だが、袋を見放すのは死ぬより辛い事なのだ。考えて見ると二人は永い間の親友だった。異郷でめぐり合って、それから又極北極寒の地で数年間、危険な目に遭い、苦しい思いをする度に、お互に励まし合い救け合い、文字通り苦楽を共にし、死生め間を潜り抜けて来たのだった。だが、怒濤の間に一枚の板片を争う時に、ああ、たちまち
闇で見えなかったが、きゃつの顔はきっと悪鬼のようだったろう。俺の――いやその青年の顔も二目とは見られない兇悪なものだったろう。彼等は本能と本能、獣性と獣性とで、飽く事もなく闘った。これが平和な航海だったら、二人は上陸すると相抱いて
幾分間かの後、とうとう一方が勝ったのだ。彼は文字通り
彼は何もこんな事を