Page:KōgaSaburō-Causality-Kōbun-sha-2000.djvu/8

このページは校正済みです

 爺さんも婆さんも永い事こんな所にいて、難破船や、打上げられた半死半生の漁師や船員達は再々見たので、格別驚きもせず、息も絶え絶えになっている、その男を親切に介抱したのさ。

 男も追々元気を恢復してポツリポツリ話した事は、何でも小さな密漁船に乗込んでいたのが、この沖で嵐の為に難破したと云うのだ。この男は元からの船乗りじゃない。数年前に日本を飛び出して一攫千金いつかくせんきんを夢みて、カリフォルニヤママ州に密航したのだが、思わしい仕事もなく、ゴロゴロしている中に、偶然、同じ思いの野心に燃えている青年と知合ママになり、手を取って砂金掘りにアラスカへ出かけたのだ。そこで数年苦労した甲斐あって、大分砂金を溜め込んだので、幸い寄航した密漁船に頼んで乗せて貰って、船の仕事を手伝いながら、遥々はるばる懐しい日本へ帰って来たのだった。

 所が、もう陸が見えると云う沖合で、暴風雨さ。砂金の袋を背負って、ボートに飛乗ったがたちまち転覆して終った。しかし、幸にもしっかり板片を摑んでいたので、沈みもせず、砂金だけはどんな事があっても放せるものか、山のような荒波に乗りながら、揉みに揉まれていたのだ。

 暫くすると板片の端に泳ぎついて摑まる者がある。叫び合うと、それがアラスカの砂金掘りの仲間なんだ。きゃつも砂金の袋を背負しよいながら、必死になって板片に摑ろうとするのだった。

 それは悲しい事実だった。

 きゃつが板片に摑ると、板片はぶくぶく沈もうとするのだ。お互ママに砂金の袋を放して終えば、その一枚の板片で、どうやら二人が浮べたかも知れない。だが、袋を見放すのは死ぬより辛い事なのだ。考えて見ると二人は永い間の親友だった。異郷でめぐり合って、それから又極北極寒の地で数年間、危険な目に遭い、苦しい思いをする度に、お互に励まし合い救け合い、文字通り苦楽を共にし、死生め間を潜り抜けて来たのだった。だが、怒濤の間に一枚の板片を争う時に、ああ、たちまち不倶ふぐ戴天たいてんの仇敵になって終ったのだ。

 対手あいてたおすか、自分が死ぬか、それは真剣な、だが、浅間しい争だった。

 闇で見えなかったが、きゃつの顔はきっと悪鬼のようだったろう。俺の――いやその青年の顔も二目とは見られない兇悪なものだったろう。彼等は本能と本能、獣性と獣性とで、飽く事もなく闘った。これが平和な航海だったら、二人は上陸すると相抱いて嬉涙うれしなみだを流しながら、お互の幸運を祝福した事であろうに、漆黒の天地に雄叫おたけびの声を挙げて荒れ狂う、雨伯うはく風師ふうし、もろもろの悪魔、妖精、きっとそんな奴が二人の魂に野獣の心を吹込んだに違いない。二人はもう夢中だった。お互に自分の命を奪おうとする妖怪と闘っているとより思わなかった。二人は遂に血を流した。

 幾分間かの後、とうとう一方が勝ったのだ。彼は文字通り命懸いのちがけてママ奪った板にしがみついて、額からタラタラ血を流しながら、浜辺に打上げられた。彼は息も絶え絶えになりながら、僅に洩れる燈火を頼りに、ひょろひょろとこの一つ家に辿たどりついたと云う訳だった。

 彼は何もこんな事をくわしくしやべらなくても好かったのだ。けれども一つには彼はもうとても助らぬと覚悟した (それ程彼は苦しかったのだ)。一つには良心が蘇って来ると共に、彼の親友を裏切った事が、ひしひしと心を責めた。彼は懺悔ざんげの積りでこの話をしたのだった。所が、老