手塚は暫く腕を組んでいたが、八巻の方を向いた。
「先刻ボッチチェリとか云う名が出ましたね、あれは頭文字はBですかVですか」
「Bです」だしぬけの奇問に
「そうですか。少し分りかけて来たような気がするぞ」手塚は独言のように云いながら、又松坂の方に向いて、
「とにかく、額縁から出て来たダイヤモンドは余程古いものです。殊によったらこの絵の持主の先祖が隠して置いたのかも知れません」
「え、え」松坂は飛上るように驚いた。
彼の頭にはこの画を買った時の光景がアリアリと浮んで来た。
ニウルンベルクの汚ならしい裏長屋に貧しい生活をしていた老いたる寡婦と、蒼白い栄養不良の干からびたようなその娘、寡婦は隠し切れない喜びの色を浮べながらも、先祖伝来のものを金に換える罪を神に謝していた、そのいじらしい姿が、今でも眼に見えるようである。その時に買取った画の縁に、先祖の一人が高価な宝石を秘め
「私の考えでは今度の事件はこうですよ」手塚は松坂の感傷的な追憶などには一向お構いなしに、ニヤニヤする薄笑いを隠しながら、話し続けるのだった。「ニウルンベルクの名画の中に、こう云うものが隠されていると云う事を粕谷繁松は、どう云う手段だか分らないが、とにかく知ったのですな。そこで彼はゆるゆるそれを取り出そうと思っていたところ、侯爵家へ
「さて、彼は縁から宝石を取出して画を元の所に返えす
「こう云う訳で、繁松は繁松で自分の不利を隠すために、名画を一旦自分の室に持ち込んで、それから盗まれた事はおくびにも出さず、米田は米田で曲者の落として行った縁を焼いてしまいましたから、少しも手掛りがなくなって、あたかも名画が戸締のしてある室の中で、
「ところで、今夜繁松を殺した男は多分ニウルンベルクの名画を盗み出した奴と同一人でしょう。彼は執拗にも又繁松の持っている画を奪おうとして、兇行に及んだものの、八巻さんが自動車で来合せたので、果さずに逃げたのでしょう。この男については私は少し心当りがありますから、警察署に申出て一刻も早く捕まるようにしましょう」
数日の間五里霧中に彷徨して、何の端緒をも得なかった怪事件を、快刀一閃忽ち片づけてしまった手塚龍太はそも何者だろう。松坂は彼の妖異な相好を凝視して、ただ驚くばかりだった。