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かなかつたり、又󠄂借家のうちに久しく家賃を払わない横着者がいたので、それを立退かせてからでなくては買えないと云うような事が起つたりして、この老持主とは、仲介人であつた友人の家で度々落ち合つた。時にはお互いに拙い碁を囲んだりした。で結局その家の売買は纏らなかつたが、藤井老人とはすつかり心易くなつて終つた。

 彼はその外見程は老けていなかつたらしい。もう大分薄くなつている頭髮をいつも短く刈つて、小肥りの背の稍低い老人であつた。丸い心もち赤い顔は時に彼を卑しく見せる事があつたが、全体から受ける感じは、如何にも善良な好々爺で、話す時には、対手をまともに見ないで、時々恥かしそうに上眼で覗つては、急いでチラと視線を外らすと云う風であつた。

 彼はなんでも彼の女房をひどく恐れているらしかつた。彼女は善良な彼が下らない金儲けに手を出しては、多くもない財産を減すママ度に彼を怒鳴りつけるらしかつた。彼は古い役所の測量手で、方々へ出張しては測量に従事したのであつた。彼はその零細な出張旅費を貯蓄しては――物価が今日とは比較にならぬ程安かつた時代だから、こうした事が出来たのであろう――だんだんに家作を買い込んだのだつた。彼が恩給がつくようになつて退職した時には、可成りの家作持になつていた。

 そうしてそれらの家作が、いつか、買い込んだ当時の数倍の値を持つようになつていた。だから彼は、もし、好い大家さんで収つているなら、衣食には十分な余裕があるのであつた。所が彼にはもつと金を儲けたいと云う慾望があつた。私は慾塑と云うより寧ろ趣味と云つた方が適切かと思う。何故なら暮しに少しも不自由のない、人を計るなどと云う事を、夢にも知りそうにないこの老人が、恐い女房からは叱責せられ、幾度かの失敗でさんざん酷い目に逢つて置きながら、どうしても相場に手を出す事を止めなかつたのは、単に金が欲しいと云う事だけではないように思えるからである。

 彼は相場に失敗しては、一軒ずつ彼の貸家を失つて行つた。――私に売ろうとしたのも、つまり相場の尻拭いであつた。彼はポツリポツリと私にいろの愚痴を話して聞かせた。彼は別に私に訴える積りで話すのではなかつたけれども、聞いている私はいかにも同情に耐えなかつた。終いにはなんだか滑稽に似た感じがする事があつた。

 或時、彼は私にその頃訴訟沙汰になつていた事件を話した。

 彼は例の如く差迫つた追敷の算段に困じて、一戸建三軒の家を抵当に三千円借りた――この家は矢張り郊外にあつたが、私の最初買おうとした家ではなかつた――所が、彼に云わすと相