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「その理由はお話したくもなく、又󠄂お聞きにならん方がよいかと存じますが」私は云つた。

「然し、あなた」果して、元検事は頰のこけた鬚だらけの頭に、神経質らしい眼をギロリと光らせながら、腹立しげに云つた。

「すつかり約束を取り定めて、それもあなたの方から望んで置きながら、いざ金の受渡をするばかりになつた時に、理由は云えぬが破談にするでは、私もそうですかと云つて引下るわけにはいかんです」

 私はこの元検事であつた白田から、彼の持家である郊外の一戸建三軒の家を買取る約束をしたのであつたが、ある理由で、急にそれを取消す為に、こうして彼を訪ねたので、彼の不機嫌なのも無理はなかつた。

「ご尤です」私は静ママに答えた。

「別に強いて隠す必要もありませんから、そう仰しやるなら、お話しいたしましよう。実は私はあの家について、面白くない噂を聞きましたのです」

「ふゝん」彼の口許に冷笑が現われた。

 私は先刻から主人の顔と縁に吊してある岐阜提燈とを等分に見ていた。提燈に電燈が入れてあつたのは、いかにも、この慾の深そうな主人にふさわしい趣味であつた。然し、木の香の高い新築の座敷は、広々と取り巻かれた庭から、夕立の後のさわやかな風を呼込んで中々居心地がよかつた。

「現在空家になつている端の家ですね」

 私は相手の顔付には一向無頓着で話をつゞけた。

「あの家に入つた人には、屹度祟りがあると云うじやありませんか」

「それだけの理由ですか」彼は意外と云う風であつた。

「えゝ、まあ、それだけの理由です。しかし、こうやつて伺うについては、噂の出所については充分調べたつもりです」

「はゝあ、どう云うことを調べられたのですか」

「十五六年前だそうですが、何某と云う、なんでも当峙は知識階級の殺人と云うので、騒がれた男があつたそうですね」