一万尺近いいくつかの峯を包含して、雄々しく聳えている八ケ嶽は八方にそのなだらかな裾野を引いていますので、どの麓からでも登山路はありますが、私の選んだのは最も人の登らない路の一つで、しかも或る目的のために途中から登山路ではない
私は人に会わないと云う事を覚悟しながらも、風のためか、それとも野獣でも往来するのか、時々草叢がカサコソと音がする度に、もしや人かとハッと胸をどよめかすのでした。
と云うのは私が必ずしも人を恐れるのではないのです。もしこんな所で私の姿を見る人があったら、その人はどんなに驚き恐れるだろうと云う事を心配したのでした。
どんな深山で出合〔ママ〕っても、その人が
Fホテルの人達も私がこうして山の中に分け入ったという事は少しも知らないのです。いつまで経っても私が帰らないので、怪しみながら私の残して置いた古ぼけたバスケットを開けて見て、中に古い新聞の他何物も見出さなかった時に、
あの親切な旅館の人達を欺いた事は、深く私の良心を咎めます。しかし、過去三年に亙つて、云うべからざる不幸を受けた私、既に自ら死のうと覚悟している私にとっては、そんな事を顧慮している余裕はありませんでした。
路は迫って来た山に突当って急に険しくなりました。ようやく足をかけるだけの幅の路は
二三町ほどこうした険しい坂を登り切りますと、路は又元の緩やかな上り路となりました。私の弱った肺と心臓はもうこれ以上の前進を許さないようでした。しかし、私はただ
路は大きく曲って山蔭のジメジメとした小暗い所になりましたが、行手の谷間に思いがけなくコンモリとした森が黒い頭を出しました。大分長い間そうした繁った森を見なかったので、それが何だか異常なものに見えて、ハッとしましたが、だんだん近づいて行くうちに、一塊りと見えた森の樹が一本一本分れて見えて来て、その間にふと屋根らしい恰好のものがチラリと眼に這入りました。
私はドキンとして立止りました。長い間の風雨に