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丁町の辱なり、吉原の名折れなり』といふ動機の下に吉原の遊󠄃女は 『野暮な大盡などは幾度もはねつけ』たのである。『とんと落ちなば名は立たん、どこの女郞衆の下紐を結ぶの神󠄃の下心』によつて女郞は心中立をしたのである。理想主義の生んだ「意氣地」によって媚態が靈化󠄃されていることが「いき」の特色である。

 「いき」の第三の徵表は「諦め」である。運󠄃命に對する知見に基いて執着を離脫した無關心である。「いき」は垢拔がしてゐなくてはならぬ。あつさり、すつきり、瀟洒たる心持でなくてはならぬ。この解脫は何によつて生じたのであらうか。異性間の通󠄃路として設けられてゐる特殊な社󠄃會の存在は戀の實現に關して幻滅の惱みを經驗させる機會を與へ易い。『たまたま逢ふに切れ