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成立する存在樣態としての「いき」を會得し、次で客觀的表現を取つた存在樣態としての「いき」の理解に進まなければならぬ。前者を無視し、または前者と後者との考察の順序を顚倒するに於ては「いき」の把握は單に空しい意圖に終るであらう。しかも、たまたま「いき」の闡明が試みられる場合には、おほむねこの誤謬に陷つてゐる。先づ客觀的表現を硏究の對象として、その範圍內に於ける一般的特徵を索めるから、客觀的表現に關する限りでさへも「いき」の民族的特殊性の把握に失敗する。また客觀的表現の理解を以て直ちに意識現象の會得と見做すため、意識現象としての「いき」の說明が抽象的、形相的に流れて、歷史的、民族的に規定された存在樣態を、具體的、解釋的に闡明すること