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は多少を規矩とする功利的立場によつて評󠄃價さるべき筈のものであらうか。否。意味體驗を槪念的自覺に導󠄃くところに知的存在者󠄃の全󠄃意義が懸つてゐる。實際的價値の有無多少は何等の問題でもない。さうして、意味體驗と槪念的認󠄃識󠄂との間に不可通󠄃約的な不盡性の存することを明かに意識󠄂しつつ、しかもなほ論理的言表の現勢化󠄃を「課題」として「無窮」に追󠄃跡するところに、まさに學の意義は存するのである。「いき」の構󠄃造󠄄の理解もこの意味において意義をもつことを信ずる。

 しかし、曩にも云つたやうに、「いき」の構󠄃造󠄄の理解をその客觀的表現に基礎附けようとすることは大なる誤󠄄謬である。「いき」はその客觀的表現にあつては必ずしも常に自己の有する一