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うもれ


第一回

 ゑがき出だすや一すゐの筆さきに、五百羅漢ごひやくらかん十六善神じふろくぜんじんくうに楼閣をかまへ、思ひを廻廊にめぐらし、三寸さんずんの香炉五寸ごすん花瓶くわびんに、大和人物やまとじんぶつ漢人物からじんぶつ、元禄風のなるもあれば、神代様じんだいやううづたかく、武者のよろひのおどしを工夫し、殿上人でんじやうびとに装束の模様をらみ、ある帯書おびがきに華麗をつくす花鳥風月くわてうふうげつ、さてはを極むる高山流水かうざんりうすゐ、意の趣くところ景色とゝのひて、濃淡よそほひなす彩色の妙、打ちをらくと見る素人目しとうとめに、あつと驚歎さるゝほど、我れ自身おもしろからず、筆さしおきて屢々しばなげく斯道しだう衰頽すゐたい。あはれ薩摩さつまといへば鰹節かつをぷしさへ幅のきく世に、さりとは地に落ちたり我が錦襴陶器きんらんたうき

 おもひ起す天保てんぱうの昔し、苗代川なはしろがはの陶工朴正官ぼくせいくわん、その地に錦様にしきでたくみなきをたんじ、とし十六の少年の身に、奮ひ起す勇気千万丈せんばんぢやう奉行ぶぎやうを説き藩庁に請ひ、竪野たての二人ににんの教授をむかへて、相伝さうでん法受はふじゆの苦を尽くしつ、なほ心胆をねる幾春秋いくしゆんじう安政あんせいのはじめ田の浦の陶場たうぢやうに、焼着やきつけ画窯ゑがま良結果りやうけつくわを奏するまで、刻苦艱難かんなんいくばくぞや。それが流れに浴する身の、美術奨励の今日けふうまれ合はせながら、此処こゝ東京の地にばかり二百に余る画工のうち、天晴あつぱれ道の奥を極めて、万里海外のあを