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の困難ふんでも見ず、一人ひとりちの交際もならぬような、木偶でくのばうてきのおかみさま持込れて、親の光りにかしらさぐるなど、いやな事なり。我れ望みは身分でなく親でなし、その人自身の精心せいしん一つ。行ひ正しく志しごとならば、今でもお世話ねがひたきもの」

と、あざやかなことば、籟三かたゑみしてお蝶をかへり見ぬ。

 此処こゝに来て遊ぶ時の辰雄、世に高名の人ともなく、さながら家人の打とけ物がたり、たゞなつかしくむつましく、友か親族みよりなほ一段、籟三たしかの望み出来て、る時お蝶にほのめかせば、たもとくはへて勝手元に逃げしが、そのころよりお蝶いよ身の行ひつゝしみて、徳を修むる事専一せんいちと心がけ、姿綿めんのいやしきは恥ぢねど、ことばづかひたちふるまひ、家の内の経済より始めて、世の交際つきあひ人づかひと、こまかに顧みればまだ身に整はぬ事ばかり、げきが中に恋といふ怪しのもの、折々の波むねに起して、飽かれまじいとはれまじ、喜こばれたし愛されたし、なんとせば永世えいせいめつの愛を得て、我れも君様も完全の世の過ぐさるべきと、欲は次第に高まりて、さまの想像わき来たれば、ふに嬉しき物がたりの、裏はいかにとえだを疑がひ、我れと我れを歎げき身を責めて、一心のなかばは辰雄のもの、辰雄ありての喜怒哀楽、善も悪も黒白こくびやくも辰雄が指のさし次第、恋の山口やまぐちくらくなりぬ。

 籟三局外に立つ身の、迷ひを捨てゝ見る目には、辰雄の愛のいもとくだらず、れも真情れも真情、取ならぶるかうつゐとこゝろ嬉しく、二人ふたり長閑のどかに物がたるを聞けば、百花のその双蝶さうてふの舞ふ心地、春風しゆんぷうその座に吹渡つて、我れも蕩然たうぜんの楽しみ限りなく、右も左も喜びの中に、こゝろさはらず意気昂々いきかう、取る筆いさんでぐわうごき、唐草からくさ模様わり模様、ふちこしがきつぶしの工夫、濃彩淡彩畢生ひつせいたくみ、したきなつて又かまかまかまよはいつしか、残菊さんぎく落葉らくえふときのの霜と消えて、煤払すすはらひの音もちきの声、北風の空に松や飾り松。


第七回


 送るとしくるとし珍らしからねど、心改たまれば一段の光り、のぼるはつの影にそひて、くみあぐる若水わかみづくるまに、ぐる世の中おもしろく、屠蘇とそさかづきまづとししたよりと、さすも可笑をかしやいつ二人ふたり活計くらしに、内裏だいり儀式のむかしを学びて、三つぐみぢうふるきを捨てず、新らしき物は二けんまいえんがはの障子、切り張りのまだらならず、これ例年に替りたるところ、篠原が庇護かげなりとて、元旦早々うはさは出でぬ。

 籟三片意地かたいぢの質、人に受くる恵み快からねど、おぽるゝ芸に我れと負けて、二十きん生地きぢじふもんめ金箔きんぱく比処こゝ四五つきの費用幾度いくど窯代かまだい、積もりし恩の深きが上、なほ心づけの数数もうるさく、その都度に断わるを、新年しんねんの料にとて、送られし去年こぞの反物、迷惑さ限りなく、やりつ返ヘしつの止々とゞの果、「さらばいもとに頂戴させん。我れは男のよき衣類きものきてうれしからず」と、兄弟ぶりの一反を返へして、残こす一反に人のなさけにせじと、お蝶のはれに仕立させて、今日の姿つくろひしを見れば、今歳ことし十八のばなの色、玉露の香り馥郁ふくいくとして、一段の見栄みば流石さすがに嬉しく、この服装なり平常着ふだんぎにさせたく思へり。

 人は廻礼に忙がしき日も、世捨て人のその苦なく、今日一にちはと仕事休みして、横にろぶ