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有德と云て是に誇る。猶又一毫未斷の凡夫の說也。上德は不德、是德と、人の上にさへ云ふなるに、Dsには是々の德ありと云は、却て不足千万、老子の夷 之三字を擧て、此の三の者は語することを致すべからず。右の三の者は見る事も得ず、聞ことも得ず、取ることも得ず、言語道斷にして、書にも傳へられずといへるこそ然べけれ。Dsには智慧分別あれば、法性に越たりと云へるは笑に不堪。虛靈不昧の理をば、汝知るべからず。

提宇子又云、本源に智德なくんば、如何として人間にある慮智万像に備る。德義はいづくより出たるぞ。此理を以て見る時は、本源に智德備はらずんばあるべからず。

破して云、柳は綠花は紅、是は只自然の道理なり。柳の根を碎て看よ、綠もなく、花の木を破て看よ、紅もなけれども、自然天然の現成底也。年々に咲や吉野の山櫻木を破てみよ花のあるかは。根元になき物の枝末にあるは常の義也。道生。一生。二生。三生万物。虛靈不昧の本源より陰陽生じて、淸濁動靜の氣備り、天地人共に万物を生じ、我等が慮智分別、鳥獸の飛鳴走哮、草木の開花凋零、皆是二氣の轉變、淸濁動靜に隨ふ。古往今來の千聖万賢、此理を述ずと云ふことなし。孔子をこえ、老子に勝る、提宇子にてあるべからず。蔓頭の葛藤截斷し去る。

   二 段