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がられて門徒を付ん爲にすることと思召せ。

或問、提宇子の伴天連は、餘の義はさもあらばあれ、邪婬の道を〈一本道ヲノ下バノ字アリ〉よくきりたりと云は如何に。

答云、是は人によりてさもあるべし。人によりてと申すにて御分別まいるべし。日本にてはまだ耻るによりて、此等のことも十分が一と聞ゆ。呂宋、南蠻、ノウバ、イスバニヤなどにては、三冥をさかいたることと、人の語るを承る。別してケレルゴと云伴天連などは、妻對〈帶カ〉の女に子を持つと申す。但し子を持は名に應じては本意とや申すべき。伴天連とは父と云詞なれば、子無しては父の義理立がたかるべきにや。

或問、提宇子のコンヒサンと云ふは、何としたる因緣ぞ。

答云、さることにて候。ゼスキリシト在世の〈一本ノノ下時ノ字アリ〉ベイトロと云第一の弟子に、汝地にて赦すべき科をば、我天に於ても赦すべしとの約ありし故、コンヒサンと云義は始りたりと云。去ればコンヒサンの時は他を近附ず、我と伴天連と唯二人相對して、山賊、海賊等の義をなし、若は父を殺し母を殺す五逆罪、國家を傾んとの謀反々逆等の大犯なりとも、殘らず懺悔するに、伴天連これを聞て赦せば、其罪消滅すると云ふ。さりとては魔法にて候ぞ。國家を覆す程の大逆をも、伴天連聞て赦せば、其罪消滅するぞと敎えるは、偏に科を犯しても苦しからぬ物ぞと弘むる同前なり。是を以て見