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さきにと面々道具を携へ、寺中へをしこみ、高樓の上より、鉄鉋を放ち掛などする迠にありしと申す。出家としての上にて、是の如きの振舞は似合ぬことにて候はずや。

或問ふ〈他ノ一本フヲ曰ニ作ル〉、南蠻人と日本人とのあゐさつ、寺中にて何とかある。答て云、夫も右の物語にて御推察あるべし。高まんなる者共なるが故に、日本人をば人とも思はず。去によりて日本人も又是をすまずと思ふを以て、眞實あいさつのよきことも候はず。其上日本に住する伴天連、イルマンのはごくみをば、南蠻の帝王より繼らるゝに、日本人は何としても我本意に叶ふべからず。向後は日本人を伴天連になすこと勿れとの義にて、皆面白くも存ぜず。此本意に叶ふべからずと云は、何としたる心持にてあらんと云ふことは、御推量あるべし。日本をねらふに、國人は何と云ふとも、國の贔負あらんと思ふ故と思召せ。

〈他ノ一本或ノ下人ノ字アリ〉問、總じて提宇子は無欲にして、慈悲を本とすると聞。誠なるか。

答云、無欲貪欲の際は存ぜず。檀那を貪り、金銀に目をくるゝこと、彼等より初まりたることにて候。たといあの檀那は戒法をもよく守り、善人と譽れども、貧者なれば、そこにあしらい、〈他ノ一本無ノ上アシクノ三字アリ〉無信心なる破戒の者といへども、富る人をば馳走奔そうし、大檀那にてもをちぶれたる時は見たる者かともせず。さてまた慈悲にして嚫施を本とすると云へども、皆〈一本皆ノ下是ノ字アリ〉名利の爲にして、さりとはと奇特