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 それは緊張し切つた長い時間であつた。

 突然、何かを引き裂くやうな声が聴えた。続いて泣き出した嬰児の声が病室一ぱいに拡がつた。

「うー。」病人たちは低い呻声をもらした。期せずしてみんなの視線は産室の方に集まつた。異常な感激の一瞬であつた。その時矢内が不意にむつくりと起き上つた。あつと私は声を出して彼の体を支へようと腕を伸ばしたが、その時にはもう彼の体はゆらゆらと揺れながら再び元の位置に倒れてゐた。私は驚きのあまりどきどきと心臓を鳴らせながら、歪んだ枕を直してやつた。彼は静かに眼を閉ぢたまま何も言はなかつた。

 やがて、看護婦が子供を抱いて這入つて来ると、

「男の子よ。」

 と言つて勝ち誇つたやうな顔つきをし、そのまま風呂場の方へ歩いて行つた。堰が切れたやうに病室全体がにはかに騒しくなつた。附添夫と共に病人たちも元気な者はその後について集まつて行つた。と、そこからどつとあがる笑声が聴えて来ると、

「癩病でも子供は生れるんだ。」

 と一人が誇らかな声を出した。続いて口々に言ふ声が入り乱れた。

「看護婦さん。俺に一度だけ、抱かせてくれろ、な、たのむ。」

「馬鹿言へ、小つちやくてもこの児は壮健だぜ。うつかり抱かせられるかつてんだ。」

「病気がうつる。みんな引き上げろ。」

「だつて俺あもう十年も子供を抱いたことがねえんだ。たつた、一度でいい。」

「いけねえに定つてるぢやねえか、このかつたい。」

「生れたばかりで抱かれるかい。」

「まるで小つちやいが、やつぱり壮健だ。見ろ、この元気さうな面。」

「全くだ。俺あこいつの手相を見てやるかな、大臣になるかも知れねえ。」

「さはるな、さはるな。」

「こら、赤児、こつち向いて見ろ、いいか、大きくなつたつて俺たちを軽蔑するんぢやねえぞ、判つたな。しつかり手を握つてらあ。なんしろこいつあ病者ぢやねえからな。」

 そのうち坂下が出て来ると彼は急いで私の横へやつて来て言つた。

すげえ。凄え。」


 あくる日の午後、矢内は死んだ。空は晴れわたつて青い湖のやうであつた。降り積つた雪の中を、屍体は安置室に運ばれて行つた。屋根の雪がどたどたと塊つて地上に落ちた。産室からは勇ましく泣声が聴えて来る。私はその声に矢内の声を聴き、すると急にぼろぼろと涙が出た。喜びか悲しみか自分でも判らなかつた。白い雲が悠悠と流れてゐる。