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だ。夢のやうな気がするんだ。」

 話が途切れた。私はE老人の禿頭にとまつてゐる蚊を眺めた。六十一年氏が、

「糞にもならん話、しやがる。」

 と言つて笑つた。

「しかし、癩の盲目はひどいからなあ。触覚、嗅覚、味覚、さういふものが〔と〕られちまふからなあ。」

 と私は言つた。

「そんな先のこと、心配したつてしやうがないよ。なあに盲目になつてみりやなつたでまたどうにかなるよ。」

「さうは思ふんだが。」

「はははは、盲目になつて、両手両足繃帯だらけで、おまけにノド切りと来るからなあ。しかし人間つて面白いもんだよ、それでもまだ希望をもつてるからなあ。」

「せめてこのままでゐてくれたらつてな。」

「さうだよ。盲目になつたら、せめて触覚だけでも満足でゐて呉れるやうに……。」

「触覚が駄目になつたら、せめて味覚だけでも、味覚がなくなつたら、せめて呼吸だけでも、呼吸がなくなつたら、せめて解剖されんやうに、解剖されたら、せめて焼場へ行かんやうに、焼場へ入れられたら、せめて骨だけでも残るやうに、つてかい。」

「うはははは。」

「うわははは。」

 二人して大きな声で笑ひ合ふ。大声で笑つてゐると幾分か気持が楽になつて来たので帰る。

 夕方六時頃また彼の部屋へ行く。風呂を貰ふのが目的である。彼は自作の詩を読んで聞かせてくれた。「狂病棟の詩」といふ題だ。幾分病的なところがあるが彼らしい詩だ。

 帰つてこの日記を書いた。七時十五分。これから生理学の本を読むことにしよう。


 八月七日。

 昨夜から急に神経痛が始まつたので、今日は一日床の中で暮した。午前中は暇にまかせて念入りに『罪と罰』を読む。昨日の朝から読み出してゐたので、今日はもう終りの部分だけである。十一時頃読了。これでこの本は三度目であるが、何度読んでも面白い。読む間、出来る限り作の中に引きこまれないやうに、作と自分との間に或る程度の距離を置くやうに努力したが、ふと気がついた時にはもう引きこまれてゐる。作と組打ちでもするやうな気持であつた。


 八月九日。

 神経痛は依然として続いてゐるので、今日もまた床の中で暮す。昼間は比較的痛みが少く、午前中はトルストイの遺稿集を読む。巻頭の「ハヂムラート」は長いので敬遠し、「悪魔」「舞踏会の後」「壷のアリョーシャ」と続けて読むともう昼飯であつた。

 今までずつと本を読まない日ばかりが多かつたが、読み始めてみると、自分などが糞にもならないものを書いてゐるのが馬鹿々々しくなつて、これからは読んで楽しむだけにしようなどと思ふ。時々空想するのは、どこか人里離れた山奥で家を建て、古今東西の名篇大作ばかりを山程も積み上げて、来る日も来る日もそれを読み暮す、するとどんなに平和な心で豊かな生活が出来ることだらう、――とそんなことばかりである。しかしそんな楽しい空想の中にすら病気のことがついてまはるから腹が立つ。例へば、そんな山奥で独り暮しをしてゐるうちに、盲目になつたらさぞ困ることだらうなあ、それから神経痛が始まつたり、急性結節で四十二度も熱を出したりしたら、――そこでこのロマンチックな空想はたちまち破れた障子のやうに見るもあはれなものになつてしまふ。

 午後になると、遠くで雷が鳴り、空が曇つた。床の中から窓を見上げると、白や黒の雲が二重にも三重にもなつて北へ流れた。硝子越しに眺めると、雲の美しさが死んで立体性を失ひ、どろんとした平面に見えるので、窓を開いて眺める。じつと眸を凝らしてゐると、凄い音響をたてて空全体が崩れて行くやうで、なんとなく恐しくなる。ずつと前、物凄い山崩れの映画を見たことがある。それはサイレントの写真であつたが、今思ひ出してみると、トオキー以上に烈しい音響が聴えたやうに思はれる。今の空も、雲の音など勿論聴えないが、しかし恐しい音響を感じさせるサイレントである。

 夜。一号室の連中がお茶に呼んでくれたので飲みに行く。自分の知らない人が三人ばかり遊びに来てゐる。みんな十一時からのオリンピックの放送を聴くつもりで、それまで茶でも飲んで時間をつぶす腹らしい。で、話題も初めのうちはそのことや、今行はれてゐる都市対抗野球戦などであつたが、そのうち自然と病気の話に移つて行き、何時の間にか発病当時の思出ママを競争で語り出した。病人は病気の話をするのが一番楽しいのである。とりわけ癩の患者が、その発病当時の驚愕や絶望を語るのは、