ことは既に久しい。そしてここに至ることは最早以前から予想されてゐることではないか。この彼に向つて自分は何と言つたらいいのだ。自殺をやめろと言ふか。ああ、だが今の僕にどうして彼の死を思ひとどまらせることが出来るのだ。それどころか、真に彼の苦しみを思ふなら、むしろ死を奨めるべきではあるまいか。人は何と言ふか 僕は知らぬ。けれど僕にはさうより以外言ふ言葉がない。けれど、ああ、東條に向つて、この親友といふべきたつた一人の友に向つて、どうして死ねと言へるのだ。どうしても、どうしても僕には言へない。
「僕には何とも言ふべき言葉がない。」僕はただそれだけを言つて置いた。これ程無慈悲な言葉はあるまい。死ね、と言ふよりも尚数倍冷たい言葉であらう。けれど、この冷たさが、この無慈悲さが、どんなに彼を思ふ僕の心か、誰か察して呉れ。
僕自身何かの折に幾度も言つたではないか。盲目になつたら、いや、盲目になる前にきつと自殺する、と。この僕だ。この僕の考へを彼は今行はうとしてゐる。それは誰の姿でもない、僕自身の姿なのだ。
彼は又言ふ。或る女性に結婚の申込みをしたと。その女は幾分かは文学に対して理解を持つてゐるらしい。言ふ迄もなく盲になつてから代筆して貰ふ為だ。その返事が今日は恐らくあるだらうと思ふ。その女の返事によつて死ななくてもよいかも知れぬと彼は言ふ。けれど90%駄目だらうと言ふ。つまり彼の生死はその女の返事一筋にかかつてゐるのだ。僕は言つた。もしその返事がNoであつた場合はどうかその女と僕と会はせてくれと。僕は下手な口でその女を必死になつて口説いてみよう。しかし僕が女を口説くなんてなんだか変な感じがする。僕は生れて初めてだ。
七月十五日。
今日一日心が浮かない。何かもの悲しく、憂愁につつまれた日であつた。東條のことを考へると、原稿紙に向ふ気もしない。今度の「晚秋」だけは力を入れて書きたい。以前「間木老人」を先生は賞めて下さつたけれど、自分には丸切り自信がない。あの作のことを考へてゐると、思はず顔が
「又咳いてゐるな。」
と言ふ。
「うん。」
と答へると、
「その咳は怪しい。」
と言ふ。僕は黙つた。咽に痰が詰り、咳くまいとしても、咳くまいとしても咳いてしまふ。喀血でもして死んでしまへばどんなに幸福か知れぬと思ふ。
二人で風呂に這入る。帰る時に東條に言ふ。
「僕は今夜踊るぞ。」
「踊れ。……僕も踊らう。」
さうだ今夜は気が狂ふまで踊り抜きたい。踊りによつて凡てを忘れることが出来るなら、よろこばしい。
夜。笠を持つて踊りに出かける。K君とM君と、三人で踊り出したが、やつぱり気が浮かぬ。二度ばかり廻り、M君が引き止めたが、疲れたと言つて外に出る。松舎の横で蹲つてゐると、向うから東條が来る。薄暗の中で顔を見合せ、お互に淋しい微笑をする。踊らないか、とすすめてみたが、もう彼は踊る気をなくしてゐる。無理もない。けれど僕は踊らう。
「東條、今夜は踊らせて呉れ。」
と言ふと、踊つて呉れと彼は言つた。自分は再び明るい輪の中に流れ込む。やつぱり心が曇つてゐる。東條の事が気にかかり、どんなにしても満足に踊れない。調子が外れたり間違へたりする。心は益々沈んで行く一方だ。再度輪を離れ松舎の横の暗い所で蹲つてゐたが、つまらなくなつてきてぶらぶら歩く。見物人の間に混り込んでゐるうちに、ぐんぐん作品のことが頭に浮んで来る。「踊りの夜」といふやうな通俗趣味の題名が頭に浮んで離れない。するとばつたり五十嵐先生に会ふ。
「まあ珍しい。」
と驚いたやうな声で僕をまじまじと見る。先生は数人の若い女と、二三人の若い男と共に来てゐたが「白十字サナトリウム」の人々ではないかと思ふ。白十字の人々はもう僕の名前を知つてゐるらしい。先日東條が散歩し