Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/2

このページは校正済みです

 さて、それで今日の記事だが――。

 お天気はやはり雨模様だ。朝から昼にかけて霧のやうな細い雨が降る。涼しいことは涼しい。

 九時頃、外科に行き五十嵐先生に診て貰ひ太陽灯をかける。

 夕方礼拝堂で碁将棋の大会があつたので見に行つた。その他には記事といふ程のことはない。

 先日振替を出してあつた『文芸首都』七月号一部来る。久しぶりで熱心な文学修業者達の雰囲気に触れて、気分の躍動するのを覚える。自分も何か書かねばならぬ。それから自分は今後絶対に必要のない下らぬことを喋らぬやうにしなければならない。自分の思考の散漫性と文章の書けぬのも、余りに喋り過ぎるからだ。この病院へ来てからも、もう二ケ月になるのだ。気分も落ちついていい頃だ。本もよく読まねばいけない。

 毎日どんなことでもいい、原稿用紙を一枚は書くこと。

 異性に対する今までの気持は、多分に不純な分子を含んでゐたことは否定出来ない。けれどもこれ以上自分は刻苦的な人間ではないらしい。とは言へ、異性の性格観察を行はうとする自分に、これ以上の道徳的な要求は無理だ。

 なほこの病院に於ける今までの生活態度はどうであつたか? 如何なる場合にも作家らしい観察的態度で暮して来た自分は、決して他人の嘲笑を買ふやうなことはあるまいと思ふ。兎に角自分はこれから書くのだ。『文芸首都』は毎月買はう。これだけの苦しみを受け、これだけの人間的な悲しみを味はされながら、このまま一生を無意味に過されるものか!


 七月二十二日。

 今日は日曜で外科も休みだ。その安心があつたためでもないが、起きて見ると最早六時半を過ぎてゐる。吃驚して跳ね起き急いで掃除をすませ、配給所まで飯を取りに行く。

 今頃になつて梅雨が始まつたのか? 今日も曇天である。配給所のあたりに繁つてゐる松の嫩葉は深い陰影を作つてゐた。食後、『文芸首都』を読み、それから昨日の続きの碁将棋会に行く。

 夕方散歩に出ると光岡さんに会ひ、二人で果樹園を散歩する。彼は四五日前から創作 (小説) を書き始めてゐる。お互に勉強しようと励まし合ふ。帰りに藤蔭寮により原田氏が今度出版される原稿を見せて貰ふ。六十枚近く書いてゐた。それから其処で碁の番附を作つてゐたのを見ると、自分は十一番目になつてゐた。

 最早十時に近い。消灯もやがて間もない。それで今日の記事は事の略記だけである。ゆつくり横になつて「一週(註5)」の空想でもすること。


 七月二十四日。

 昨日の記事を遂に書き損ねてしまつた。妙義舎で遊んでゐるうちに、すつかり時間を過してしまつてたうとう十時になつてしまつて、帰つて見ると電気が消えてしまつた。記事として別段ないが、ただ一つ小説「一週間」を書き始めたこと――。

 三号病室の裏の動物小屋の横の休み室を借りることにした。土間一畳に畳一枚の小さな部屋だが、ヤギの糞の悪臭には閉口したが、慣れてみると左程でもなかつた。四枚書けた。その為に疲れたのか、今朝起きてみると、なんと七時だ。急いで掃除をして、飯を食ふ。

 八時頃に注射をするやうに今日からなつた。午後は医局は全部休みといふ。夏になつたためだ。

 外科が終へてから動物小屋に行き三枚ばかり書く。が今日はどうしてかうも書けないのだ。丸切り文章が描写になつてゐない。やつぱり最初から原稿紙に向ふことは良くない。初めは何か他の紙にノートする方が良いかと思ふ。昼頃松川君と一石囲む。三番続けて勝ち、四番目に敗れた。

 明日は今まで書いた七枚を全部書き改めることにしよう。そして次からは何か他の紙に書かう。

 是非造らねばならぬものとしては、本箱と話の種のノート。

 とまれ気分も落ちついた。これからほんたうの作家の生活を始めるのだ。作品すること、読むこと、観察すること、より多く苦しむこと。自己の完成へ。


 七月二十五日。

 激しく創作の慾望が心をゆする。昨日書いたものを今日書きなほす。いよいよ明日からあの作品の真髄に近づく。いよいよ心理はさびしくなりむづかしさはいよいよ迫る。だが書かねばならぬ。なんとしても書かねばならぬ。書くことだけが自分の生存の理由だ。


 七月二十六日。

 今日は大変な失敗をやつた。といふのは、夕飯の時