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猫料理

北條民雄

 一般に西洋の女は猫を可愛がる傾向が強いやうだが、日本の女はあまり好まないやうである。女ばかりではなく男にしてからが、犬と猫とどつちが好きかといふと、たいていは犬の方が好きだといふのがおきまりだ。といつてそんなら誰でも猫が嫌ひかといふと勿論好きな人もあるに違ひないが、しかしさういふ人も小鳥や犬などを可愛がるのとは大分調子が異ふのではないかと思ふ。

 伝説的に鍋島猫騷動などがあつて、猫といふと魔性のものといふ下心があり、小鳥や犬のやうに愛し切ることが出来ないのであらう。無論、世間に猫を飼ふ家は多いが、愛玩するよりも鼠を捕らせる目的が大部分のやうに思はれる。

 言葉の上でも猫がつくと定つて悪質のものを含んで来る。たとへば、「猫ばば」「猫撫声」「猫背」「猫を被る」「猫額」「猫の眼」といつた工合で、文字面を見るだけでもこつそり他人の裏口から忍び込むコソ泥を思ひ浮べる。けだし日本人には本能的に猫を嫌ふ傾向があるらしい。

 だから猫肉を食卓に上せて舌鼓をうつなどといふことは、先づ普通人なら考へもせぬことに違ひない。ところがなかなかどうして猫はうまいのである。といふのは、つい先達て私も猫を味はつてみる機会にありついて、初めて味をしめたのであるが、牛や馬や豚などと異つて歯切れもよく、兎の肉に似通つたうまさであつた。

 癩患者には脂濃いものは良くないとされてゐるので、肉類は遠ざけられるが、猫などは時々食つた方が良いのではあるまいかと考へる。うまいから食ふべきだといふのでは勿論ないが、体力を保つ上から言つて、脂の少い肉類は大いに必要だと思ふのである。

 それはまあ別として私がこの病院へ這入つたのは一昨年の五月で、それ以前のことは詳しく知らう筈もないのであるが、なんでも随分食はれたさうである。犬ならそれまでに私も食つたことがあるのでさう吃驚もしないのだが、猫を食ふに至つてはさすがに驚いた。しかしこの病院に慣れて来ると共に、重病室や不自由舎――この舎は主として盲人が入れられ、その他にも手足の不自由なものなどが這入つてゐる舎で、同病者の附添が一室一人づつで世話してゐる――などへも繁く足を入れるやうになつてからは、それ等のこともかへつて何となく可愛い人情の発露で、憎むよりも愛すべきことのやうに思はれて来るやうになつた。

 ちよつと考へてみても、棒鳕か何かのやうに、全身繃帯でぐるぐる巻きにされたり、盲目になつたり義足になつたりして、一つ部屋で永い年月をごろごろして暮すさまは、決してさう楽しいものではあるまい。癩患者は食ひものと女のことばかり考へると言つて軽蔑する者は、軽 蔑する者それ自身が軽蔑されるべき存在だと私は思ふが、実際、高い精神生活をもつてゐないものが、不自由舎入りでもする身になつたとすれば、その二つのこと以外に、一体何を考へるか、考へやうがないのである。また高い精神生活などと言つても、余程強烈な意志でもつてゐない限り、この場合になつてみれば何程のものでもないのである。

 この間も狂人病室へ私は附添に行つたが、

「食ふことだけが一番楽しみです。三度三度のおかずが、今日は何であるかと待遠しく、何よりもそのことを考へるのが楽しみです。」