「うん。」
軽快退院、しかしやがて再発するだらう、といふことを二人は感じてゐた。今までの例がみなさうであつたし、二人はこの病気がどういふものであるかを知り抜いてゐる。
「ふゆ、つらいのう。」
と佐七はこみ上つて来るやうな声を出したが、とたんに石に
「ふゆ、死なうか。」
ふゆ子はどきッとし、そんな、とだけ言つた。佐七は続けて言はうとしたが、口がこはばつた。しばらくして、
「お前明日の朝早く起きられるかい?」
「どうするの、お父さん!」
と彼女も声を顫はせながら反問した。
「あしたは良い雄を捕らうよ。」
「目白? ええ、早く起きるわ。今朝放してやつたの、足に
「大丈夫、かしこい鳥だから自分でこすつて
「さうかしら。」
「佐太が来たら――佐太はどんな気持でゐるかなあ。」
「……。」
「お前、佐太の世話をしてやつてくれ、のう」
「するわ……。」
彼女はふと自分から逃げた男を思ひ出した。世話をする、といふ言葉が男の姿を連想させたのであらう。その男はまだ軽症だつた。頰に一つ紅斑があつたが、その二銭銅貨のやうな斑紋は、思ひ出して見るとかへつて彼を美しく見せたやうに思はれる。が、彼女は彼の愛撫の中にゐる時でも、その軽症さに不安を覚えてゐたのを思ひ出した。もしあの人がもつと病気の重い人だつたら逃げたりしなかつたに違ひない、自分のやうな重いものが、あんなに軽い人を愛したのが間違ひだつた、と思ふと共に、彼女はその頃その男と会ふ度にひけめを感じてゐたのに気がついた。だけど、もし自分がもつと軽かつたら ――鏡を見る度に悪寒をすら感じる自分の顔を思ひ出して、孤独と絶望とが押し寄せて来たが、どこからか、それを打ち消す力が湧いて来た。佐太郎や父への愛情がその力を与へたのであらう。
「ふゆ。」
「はい。」
父はそのまま次を言はないで、二三十歩も足を運んでから、
「お前、お父さんを悪く思はないでくれのう。」
彼女は不意に父に縋りつきたくなつて来たが、
「
と叫ぶやうな声になりながら言つた。
薄暗い電光を受けて、佐吉はとろとろと眠つてゐる。さつきうつた注射が効いたのであらう。額から首のあたり、蒲団がずれて露はになつてゐる胸まで大粒の汗が吹出物のやうに出て、時々かたまつてはだらだらと流れてゐる。彼の隣りの男も、その並びの当直人も、みな寝静まつて、室内は呼吸の音と、呻声とだけでしんとしてゐた。
と、突然佐吉はびくんと体を顫はせて、、ううううと呻いて、それからむつくりと起き上つた。ちよつとの間、彼は充血した眼を見開いてあたりを見廻してゐたが、やがて首を垂れると、横にもならないでそのまま寝台の上に坐り続けた。注射がまだ効いてゐるのであらう、痛みは殆どなかつた。しかし頭がどろんと濁つてゐて、今見た母の夢が目さきにちらついた。
場所はたしかにこの療養所の中だつたが、そこに母の住んでゐる家があつた。そして珍しくも母と一緒に父もをり、自分もゐた。ふゆ子は女学校の服を着てゐたが、何か両手で白いものを抱へて、たしかに泣いてゐるやうだつた。それから突然、父と母とが恐しい顔つきで何か叫び出した。病気がうつる、うつる、といふやうな言葉が頭に残つてゐる。そしてその時母の真白い豊かな胸がちらりと見え、その腕に一個所、鮮血に染つたやうな紅斑が浮いてゐるのが垣間見えた。するとぞうんと身の毛が立つほど恐しくなつた。それからはぼんやり煙つたやうになつて記憶の底になつてしまつてゐる。うつる、うつると叫んだ時の母の恐怖に彩られた顔が、特にはつきり頭に残つてゐる。母の顔は真蒼だつた。それは佐吉の発病を知つた時の顔であり、またふゆ子の眉毛が落ちた時の顔であつた。彼は自然と母と別れる前夜のことを思ひ出した。その夜も母は蒼白なおもてであつたが、佐吉はその顔が今も眼の前に浮んで来るやうな気がした。
「佐あさん、もうお寝みかえ?」
その頃佐吉は、毎晩おそくまで街を歩き廻り、酒を飲んでは帰つて来るのが習慣になつてゐた。癩者の誰もが一度は味ふ気持、つまり生きてゐたいのか死んでしまひたいのか自分でも判らない漠とした気持であつた。街を歩いてゐると、電車の轟音に発作的に体を投げ出してし