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はくうばはん」と。家季曰く、「誤るなきを得んや」と。爲朝曰く、「第、吾が爲す所を觀よ」と。乃、射で冑臍ちうせいを穿ちて、門扇もんせんつらぬく。義朝大に驚き、乃、呼びて曰く、「八郞、射来だくはしと爲さず」と。爲朝曰く「敢てせざるのみゆるさるれば甲のむね、胃のひたひ、唯阿兄の命ずる所のまゝ」と。乃、大箭をく。深巢淸國みすきよくに、進みて義朝を蔽ふ。つるに應じてたふる。義朝の兵、死傷最おほし、爲朝も亦二十三騎をうしなひ、猶固く守る。爲義、賴賢等また善くふせぐ。

天、漸、明く。義朝使を馳せ、奏して火攻を用ゐんと請ふ。之をゆるす。乃、火を上風にはなつ。烟焰宮を蔽ふ。宮中大に亂る。義朝等皷操こさうして、終に之をおとしいる。上皇出でゝ奔り、如意山によいさんに入る。爲義以下悉く之に從ふ。上皇みづからさとして之を散遣さんけんす。皆泣を揮ひて散ず。