選兵四百を以て、白河殿を襲ふ。平淸盛も亦これに赴く。兵凡數千人なり。
上皇の謀者還り報ず。爲朝哂ひて曰く、「固より當に然るべきのみ」と。賴長、爲朝が用を爲さゞりしを恐れ。遽に拜して藏人とす。爲朝曰く、「吾れ何ぞ藏人を用ゐることを爲さん。吾れ鎭西八郞にて可なり」と辭して拜せず。將に戰はんとす。諸子先を爭ひて决せず。爲朝曰く、「戰に臨みて何ぞ兄弟を論ぜん。然れども吾れ嚮に不遜を以て罪を獲たり。故に先ぜんと欲すれども、敢てせず。唯、敵の勁くして當り難き處、輙我に命ぜよ」と。賴賢、賴仲、邀へて義朝を擊ちて、敗れ退く。
義朝随ひて之を攻む。平淸盛西門を攻む。其將伊東景綱、二子伊東五、伊東六と先づ進む。爲朝之を射、五の胸を洞し、六の袖に着く。淸盛慴懼して退く。獨、其騎山田伊行返り戰ふ。爲朝又射て之を斃す。馬逸して義朝の陣に入る。鏃、鞍を穿つ。大さ巨鑿の如し。部將鎌田政家、取りて之を献じて曰く、「八郞君の爲す所なり」義朝曰く、「彼れ弱齡、未だ當に此に至るべからず。詐り設けて以て敵を怖すのみ。汝之を甞試よ」と。政家、自、呼びて進む。爲朝曰く、「爾は吾が家人に非ずや」と。對へて曰く、「昔は主君たり。今は兇徒たり」と。射て其冑に