Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/166

このページは校正済みです
く。而して天武叔父を以て篡立し、之に持統、文武、元明、元正、聖武、孝謙、帝大炊【大炊】淳仁に傳へらる。凡七世にして天武の嗣絕ゆ。光仁は天智の孫を以て、入りて大統を繼ぎ、之を其子に傳へらる。是を桓武帝とす。桓武の三子、平城、嵯峨、淳和、兄弟相及ぶ。仁明は嵯峨の子を以て之を繼ぐ。文德は仁明の子を以て又之を繼ぐ。文德、幼子なれども、藤原氏の故を以て、立ちて位に卽く。是を淸和帝とす。淸和の子陽成は、藤原氏に廢せらる。光孝は文德の弟を以て之に代へらる。光孝より下、宇多、醍醐、朱雀、村上、父子相繼ぐ。村上の子冷泉、圓融、兄弟相及ぶ。花山は冷泉の子を以て圓融に繼ぐ。一條は圓融の子を以て花山に代る。三條は又冷泉の子を以て、一條に繼ぐ。一條の子後一條、後朱雀、兄弟相及ぶ。後朱雀より下、後冷泉、後三條、白河、堀河、鳥羽、崇德、父子相繼ぐ。崇德より下源平語中に詳なり。帝王廿一世皆藤原氏の出崇德より上文德に至るまで二十一世、其藤原氏のしゆつに非ざりしものは宇多後三條のみ故に皆其權を抑ふるを計りて在位長からず能く志を遂げらるゝことなし。然して宇多以後三朝、攝關を置かず。政、天子にあり。白河以後旣に位を辭して、猶政を聽く。政、上皇にあり。其餘は皆藤原氏の成すを仰ぎたまへり【政を擅にす】攝關政を擅にするなり而して其政を擅にするは文德より始ると云ふ