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ちて之をせ、三たび之をせども入らず。忠澄の僕來る。終に爲に殺さる。忠澄、其鎧を撿して歌稿を得たり。因りて其忠度たるを知れり。經正
【大藏谷】播磨
經正走りて大藏谷おほくらたにを過ぐ。莊高家しやうたかいへ呼びて、鬪を求む。顧み答へて曰く、「吾れなんぢと鬪ふをはづるなり」と。高家怒りて、之にせまる。經正、馬より下りて自殺す。其弟經俊、及び通盛、なり盛、師盛、淸定、淸房、盛俊等、皆死す。通盛の妻、其夫の死を聞きて海に投じて死す。敎經航して淡路に赴く。宗盛、帝を舟に奉ず。諸敗兵、舟を爭ひて溺るゝ者無數なり。知盛知盛初め武藏守と爲る。國人識りて之を追ふ。及ぶになんとす。其子の知章ともあきら、時に年十七。遮り鬪ひて、其一騎を斬りて之に死す。知盛間を得て遁れ、馬を下り舟に上る。舟せばくして馬をれず。則馬首を北して之にむちうつ。馬をどりて陸に上る。田口成能なりよし曰く、「良馬なり、其敵に獲られんより、寧ろ射て之を殺さん」と。知盛曰く、「吾れ此れに由りて免る。之を殺すに忍󠄁びず」と。馬、知盛を望みて三たびいなゝく。終に義經に獲はる。知盛、宗盛に謂て曰く、「子は死して父を救ふ。父は子を棄てゝ走る。他人をして此の如くならしめば、吾れ當に其面につばきすべし。今吾れ之を爲す。之を何と謂はんや」と。因りて歔欷してなんだを流す。