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樵談治要

後成恩寺關白兼良公


一神をうやまふべき事。

我國は神國也。天つちひらけて後。天神七代地神五代あひつぎ給ひて。よろづのことわざをはじめ給へり。又君臣上下をの神の苗裔にあらずといふことなし。是によりて百官の次第をたつるには神祇官を第一とせり。又議定はじめ評定始といふことにも。先神社の修造。祭祀の興行をもはらさだめらる。これみな神をうやまふゆへ也。一年中のまつりは二月四日の祈年の祭より始まる。此祭は。あきつしまの中にあとをたれ給三千一百卅二座の神に御てぐらのつかひをたてらるゝ物也。其中に七百卅七座には神祇官よりこれを獻ぜらる。のこり二千三百九十五座には六十餘國の國のつかさをのうけたまはりて幣帛を奉る也。年中の災難をのぞき國土の豐饒をいのるによりて。祈年のまつりとは名付たる也。又此月に祈年穀の奉幣といふことあり。これは廿二社に別して幣使をたてられて。旱水風損のうれへなく。五穀不熟なからん事をいのり奉る祭なり。五穀は人民のいのちなり。たれの人か是をかろくせむや。廿二社のうち。石淸水吉田祇園北野の四社は延喜式の神名帳にのらざる社たるによりて。式外の神と申也。もとは其數さだまらざりしを後朱雀院六十九代の御宇長曆三年八月に廿二社にさだめられて後は不增不减也。昔は太極殿に行幸有て。その使を發遣せられしかども。太極殿なきによりて。神祇官にてをこなはるゝなり。其後諸社の祭をの上卿弁など參向してとりをこなふ。その所々月日支干などは年中行事にみえたるべし。中にも六月十二月の月次の祭。九月十一日の例幣。十一月の新嘗會