Page:Gunshoruiju27.djvu/169

このページは校正済みです

れん時は。いづかたにも兼て所を定ずして。かた邊の便宜をはからひ用べし。京人には。みえても詮なきが故也。大方は病もはなれば。常に馳挽イをもして風にあたり。中にも普通のには超たる具足にて,物每に弓の眼を引折て。身をせめらるゝ事。今は有べからず。弓箭をたしなむは。自然の御大事にあふべき學なるを。一年御亂の時。至極心みられし事なれば。さのみならしの入べきにもあらず。さればとて又捨べきにもあらず。うちをくものならば。河原ゐんぢや。とざまなる惡黨の奴原などに侮らるべき基也。一月に二三度計は。我と馳走をしつけらるべし。徃昔の事は勝てかぞふるに不及。故殿の御時むねと賴思召れたりし射てども。中にも下河邊の庄司行平。工藤庄司景光などの逸物達の申しは。弓取と云は。必唯心の上手に有。されば寢ても覺ても此態を思はなすべからず。せめては弓を張て置ても。一日に三度はすびきをもすべし。それも心のうちに。少あてをすることなくてはすべからず。增てうるはしき箭をはげてあてがはん時は。遠物近物。大なる物小きもの。すべては女のみん所にても。亦堅固に人のみざらん所などにもあれ。唯御所の御弓場に立て。千万の人々にみらるゝ心仕にて。儀式をわすれず。あだには物を射るべからず。箭を放む度には。此矢ぞ㝡後。もし射はづしなば。二の矢をとらぬさきに。敵にも射とられ。又は生物にも喰殺さるべき身也と思籠て射べき也。能臆病有を本とはすべしと云敎たるの事の。逐年身にしみて。面白も有難も覺る事にて候也。されば甲斐國には。我はとおもひたる上手どもと申も。又我々がいたらぬ身までも彼二人の庄司也。海野左衞門尉。陬訪祝。愛甲三郞。此四五人の