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東國陣道記
玄旨法印
二月廿九日。尾州熱田に居陣。社務惣撿校の家にとまりけるに。あるじまた社僧寶藏坊出られて雜談の次。當社の內。八劔宮は日本武尊たるのよし物語ありて後。發句望ありければ。
かそへ見んいく夜かはねる花の宿
晦日。參州にわたりて。細川の谷の流と聞て。
細川のなかれの末をくみゝれはまたいにしへに歸るなみ哉
三月朔日。矢はぎ川をわたるとて。
ときてをけにかはのくにの矢はき川まくいと水をつくる計に
四日。遠州みかたが原を行に。是よりも富士のみゆると人のいひけれども。あま雲はれず。五日みつけのごふといふ所にいたりてみるに。おなじくもりにてみえず。
方角もいさ白雲にめそくはるふしをみつけのこふのいらねは
六日。さよの中山ちかき山口といふ所にとまりて。月まち出る雲の雨に見わづらひて。ふせるとて。
袖にしもかたしく月の影きえて春雨くらきさよの中山
八日。うつの山にて。
ゆめならて思ひかけきやうつの山うつゝにこゆる蔦の下道
此山をこえて行にまりこ川と人のいふをきゝて。
人數には誰をするかのまりこ川けわたる波の音はかりして
猶ゆき〳〵て駿府につきぬ。富士をはじめてみ侍りて。
なか〳〵にかすまぬふしの高根かな
府中に逗留の中に。
あまの原明かたしらむ雲間よりかすみてあまる富士の雪哉
小田原居陣の時。民法より書狀の次。扇子をくられける返事に。
時をえているゝ扇のはこね山日のもと迄もなをしつめおり
一如院より山中にて一柳討死のことを。
あはれなりひとつ柳のめも春にもえ出にたる野への烟は
かへし。