Page:Gunshoruiju18.djvu/661

このページは校正済みです

右之紀行者。太田道灌入道平安之筆記也。以舟橋二位之本之畢。

元和二年二月中旬

沙門尊證


筑紫道記

宗祇法師


二毛のむかしより六十のいまにいたるまで。をろかなる心一すぢにひかれて。いり江のあしのよしあしにまよひ。身をうき草のうきしづむなげき絕ずして。移りゆく夢うつゝの中にも。時にしたがふ春秋のあはれ思ひ捨がたく侍るまゝに。國々の名ある所みまほしく侍る程に。筑波山もおもひ入さはりなく。白川の關の越がたきさかひをも見侍しかば。今は松浦箱崎のあらましのみふかう侍りながら。近き世となりて。あし原の風のさはぎしきりにて。都のうちも波の音たえず侍れば。草の庵いとゞ住がたく侍を。思はざるに左京兆のかぐはしき契ふかうして。西の國の磯の上までをたのめをき給へることありき。程もなく博多の海も浪おさまりて。岩國山いとゞうごきなきかくれがとなりぬれば。文明十二の年水無