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富士御覽日記
永享四年〈壬子〉九月。富士御覽の御下向に初の十日京都出御。同十七日駿河國藤枝鬼嚴寺に御下着。雨すこし時雨て。曉方より晴て。月はあり明にて。いそぎ御立。同十八日府中。先小野繩手にして御輿たてられ御覽じて。前後左右とよみあひ。御跡はいまだ藤枝。五里のほど何とはなく。つたへ〳〵山も河もひゞきわたりけるとなん。御着府。すなはち富士御覽の亭へすぐに御あがりありて。
みすはいかに思しるへき言のはも及はぬふしと豫て聞しも
御返し
從四位源範政
君かみむけふのためにや昔よりつもりはそめし不二の白雪
十九日のあした御詠。
朝日かけさすよりふしの高ねなる雪もひとしほ色まさる哉
御かへし
範政
紅の雪をたかねにあらはして富士よりいつる朝日かけ哉
又御詠。
月雪の一かたならぬ眺ゆへふしにみしかき秋の夜半かな
御返し
範政
月雪も光をそへてふしのねのうこきなき世の程をみせつゝ
同廿日御詠。
朝あけのふしのね颪身にしむも忘れはてつゝ眺めける哉
御かへし
範政
吹さゆる秋の嵐にいそかれて空よりふらす富士のしら雪
實雅三條殿
我君のくもらぬ御代に出る日の光に匂ふふしのしらゆき
おなじあした。御わたぼうしまいらせらるベきよしありて。やがて御ひたひにうちをかせ給て。
我ならす今朝は駿河のふしのねの綿帽子ともなれる雪かな
嫺眞居士山名金吾
雲やこれ雪を戴くふしのねはともに老せぬわたほうし哉
雅世朝臣飛鳥井殿
富士のねも雪そ戴く萬代によろつよつまん綿ほうしかな
白砂の高ねはかりはさたかにて日かけ殘れる山のはもなし
堯孝常光院