このページは校正済みです
是も又袂にかけつ鈴か川八十瀨の外の春の藤なみ
鶯も音をこそ盡せ鈴か山ふり捨て行春を恨て
山中の宿と申所にて。
蘆引の山の山中行道も猶あふ人のしけき旅かな
野を分侍るに。すみれわらびなど生まじりていと興あり。
紫のちりにましはる菫草つむ手もふるゝ程とこそみれ
雲雀ある聲聞ゆ。
分くるゝ春の野もせのかり枕こよひ雲雀に床やならへん
水口に御着の時。
春は猶かへすあら田にせき入て水のみな口かすも有かな
廿三日。かしは木の里と申所過侍るとて。
今よりは葉守の神も宿しめん春の綠の柏木の里
うへ田川原にて。
今幾日あらは早苗もうへ田川せきいるゝ水の春深き比
かなやまとかやを。
神代より岩ねこりしくかな山を□君か爲かと
大津の濱にも歸り至り侍ぬ。天智の昔皇都をひらかれ。中興の祖にて萬の道を
ふりにける大津の宫とをきてみれはあめの帝の昔おもほゆ
なきた水海のかぎりなくかすめり。みぎはに氣色ばかり立くる浪のかへるも。千代をかぞふるにやと聞なされて。
長閑なるしまのうらはの小波もかへるゝ千世の音そ聞ゆる
御道中一日も雨のさはりと申事さへ侍らで。□なりぬ。まことに天道にも神鑒にもかなはせおはしましける事。有がたく目出度覺侍りて。
堯 孝
我君の心の儘に照すより天津日の神光のとけし
十月十三日。今度御道中詠進の和歌。勒㆓一卷㆒可㆓進覽㆒之由被㆓仰下㆒仍馳㆑筆。翌日令㆓持參㆒者也。
右普廣院殿御參宮之時記云々。
右伊勢紀行平山等山藏本書寫挍合了