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みやことをくへだたりはてぬるも。なを夢のこゝちして。

 立はなれよもうきなみはかけもせし昔の人の同し世ならは

あづまにてすむ所は月かげのやつとぞいふなる。浦近き山もとにて風いとあらし。山寺極樂寺のかたはらなれば。のどかにすごくて。浪の音松のかぜたえず。都のをとづれはいつしかおぼつかなきほどにしも。うつの山にてゆきあひたりし山ぶしのたよりにことづけ申たりし人の御許より。たしかなるたよりにつけて。ありし御返しと覺しくて。

 旅衣淚をそへてうつの山しくれぬひまもさそしくるらん

 ゆくりなくあくかれ出し十六夜の月やをくれぬ形見成へき

都をいでしことは神無月十六日なりしかば。いざよふ月をおぼしめしわすれざりけるにやと。いとやさしくあはれにて。たゞ此御イ返事ばかりをぞ又きこゆ。

 めくりあふ末をそ賴むゆくりなく空にうかれし十六夜の月

さきのうひやうゑのかみ爲敦の御女。歌よむ人にて。ちよく撰にもたび入給へり。大宮のゐん姞子《常盤井相國實氏公一女後嵯峨院中宮後深草龜山兩院母后》の權中納言ときこゆ[る人イ]。歌のことゆへ朝夕申なれしかばにや。道のほどのおぼつかなさなどをとづれ給へる文に。

 はると思ひこそやれ旅衣淚しくるゝほとやいかにと

返しに。

 思ひやれ露も時雨も一つにて山路分こし袖の雫を

此せうとのためかぬ爲兼の君も。おなじさまにおぼつかなくイなどかきて。

 古鄕は時雨にたちし旅衣雪にやいとゝさえまさるらん

かへし。

 旅衣浦かせさえて神なつきしくるゝ空に雪そふりそふ

しきかんもむゐん式乾門院 利子《後高倉院姬宮四條院准母》のみくしげどのときこゆるは。こがの太政大臣通光の御女。これも續後撰よりうちつゞき二たび三たびの家いへのうちきゝ