このページは校正済みです
いまおひたるぞまじれる。おほかたのみなあれにたれば。あはれとぞひと〴〵いふ。思ひいでぬことなくおもひ戀しきがうちに。この家にてうまれしをんなごのもろともにかへらねば。いかゞはかなしき。ふなびともみな
むまれしも返らぬものを我宿に小松のあるを見るが悲しさ
とぞいへる。なをあかずやあらん。またかくなん。
見し人の松の千年にみましかは遠く悲しきわかれせましや
わすれがたくくちをしきことおほかれど。えつくさず。とまれかうまれ。とくやりてん。
延長八年〈庚寅〉土佐の國にくだりて。承平五年〈乙未〉京にのぼりて。左大臣殿しら河殿におはします御ともにまうでたる。歌つかふまつれとあればよめる。
百草のはなのかけまてうつしつゝ音もかはらぬ白河の水
本云
土佐日記。以㆓貫之自筆本㆒。〈故將軍御物希代之靈寶也。今度密々自㆓小河御所㆒申出云々。〉依㆓或人數寄深切所望㆒書㆑之。古代假名猶㆓科蚪㆒。末愚臨寫有㆓魯魚㆒哉。後見輩察㆑之而已。
明應壬子仲秋候 亞槐藤原 判
右土佐日記以作者自筆轉寫本書寫雖假名遣相違多不敢私改而以扶桑拾葉集及流布印本挍合畢