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は一層愚劣の極みだ。癩者とは自殺失敗者の代名詞のようなものだ。誰だって既に幾度か自殺を決行したことであろう。しかも皆んママな死ねずに今日まで生きてしまったではないか、この上尚も自殺を考えて苦悶することに何の意味があろう。癩者の生命は死に損ねた生命だ。いらぬ生命だ。もて余した生命には違いない。しかしだからといって、その生命を木の枝にぶら下げようとして今尚藻搔きつづけることは愚劣の極みではないか、もて余した生命なればこそ木の枝にぶら下げる代りに、何ものか真実なものへ向って投げ出してみたらいいではないか。――ともいう彼である。そして彼の生活は実際それ等の言葉そのままのような激烈な実行力で張り切っていた。それだけにこんな人間が一度絶望したら、それこそ自殺位苦もなくやってのけるのではないか。と渥美は常に彼のその激烈な性格に恐怖を感じない訳にはゆかなかったのである。

「どうしたの?……」

 しばらくの間あれやこれやと思い巡らせた末、渥美はカルテから眼をはなして結局そう云ってみるより外なくそう云ったが奥田は依然がっくりと頷垂れたまま何んママとも答えなかった。

「ええ?……どうしたの?……そんなにふさぎ込んでさ。」

 今度はつとめて自分の感情を圧し殺してなるべく気軽な調子でそう云って、腰掛けたままの低い位置から思い切って奥田の顔を正視した。すると奥田はがっくり垂れていた頭を激しく振り上げ、長い髪の毛を振り乱して二三度首を横に振ってから、左手を上げて支えるように額を抑えた。その瞬間奥田の左眼の充血を認めた渥美はあまりの驚きに危うく声を立てようとしたのをようやくのことで圧し殺した。それは激しい充血だった。血をふき出しているかと思われる程の赤さだった。そしてそれが右の血の通っていない義眼と対照するので一層鮮明に、不気味な刺激を与えた。この猛烈な眼疾は癩特有の神経痛から来るもので、こればかりは今日の癩医学の中でも難疾中の難疾とされているもので、現に数年前奥田の右眼はニケ月ばかり患んで失明したのだが、しかも失明したその眼に尚激痛が止まず、その激痛が残された左眼をも侵害させる兆候が見えたので眼球を抜き取って、その時から彼の右眼には冷たく澄んだ瀬戸物製の義眼が、いつも決った一点に眸を据えているようになったのである。それ等の総てを知っている渥美としては、この場合医学的良心と奥田への同情とに心を駆り立てられながらも、何んママといって彼を慰めたらいいのかに苦しむばかりだった。

「眼が悪くなったね。」

 と渥美は仕様事なしにそう云うよりなかった。奥田は一度上げた頭をがっくり垂れて頷いたが、その眼から涙がポタとアスファルトの床へ落ちて砕けた。そして彼はがっくりと首を曲げたまま再び上げようとはしなかった。奥田の身にとって渥美がもっとも恐れていたのはこれだった。五体へじりと癩が浸潤していって、だん病気が重って少しずつ不自由になってゆく。それは癩の二期を過ぎた奥田の病齢としては仕方のないことであり、それに対しては彼も充分覚悟していてじたばた藻搔くようなこともあるまいし、彼の強い意志力はその苦悩を征服して立派に本分を全うし自己を活かしてゆくであろうが、五体に充分働らママく力をもつているのに残された唯一つの眼を奪われねばならぬ時があるとしたら、その時こそこんな性格をもつ彼の身の上にとって最も恐るべき危機なのではあるまいか、と渥美は彼が右眼を失った時から幾度考えたか知れない。そしてそれについて、それとなく彼の心を打診してみたことがあった。その時彼は――しまいには盲になるかも知れないと思っている。けれ共盲になったらどうするかと云うことは健康者が自分が若し癩病になったら生きてはいられない。必ず自殺する。というのと同じような意味だからあまり深く考えないことにしている。それはなってみなければわからないことだから……だがほんとうに不自由になって何も出来ず身体中から膿血が流れるように惨めになって、何もかも他人の世話になって生きなければならないようになったら、その時はその惨めさに心を痛めて同情して呉れるような人の居ないところへ行って、誰もが