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日午後七時ころ、夕飯を食べてから、同月八日に原告〔丁8〕が田名部で開催される子供の遠唱会に行く際服につけて行く造花を買いに原告〔丁8〕とともに出かけ、紅いバラの造花を買ってから友人である〔乙56〕宅に立ち寄り、同女と一緒に土手町を散歩し、午後一〇時ころ家に帰ったが、そのとき原告隆は家におり、その後間もなく原告隆と一緒に一〇畳間に寝た旨証言していること、〔乙56〕は、原一審において、同月六日午後七時半ころ原告〔丁4〕と同〔丁8〕が自宅に立ち寄り、一緒に造花を買いに出かけ、土手町を歩いたのち同女らと別れ、午後一〇時ころ自宅へ帰ったところ、その後同年九月ころ、自宅において、私服の刑事から、「八月六日〔丁4〕と買物に行ったか。」と聞かれたので、「行きました。」と答えたが、他に八月六日の晩の行動を聞かれたことはない旨証言していること、右両名の証言は極めて具体的かつ自然で信憑性の高いこと、原告〔丁4〕、同〔丁8〕は、八月六日の晩買物に出かけたことにつき捜査官の取り調べを受けたことはないことが認められる。右事実の一部は本件公訴提起後に判明したものとはいえ、少なくとも同年九月一二日以降、原告〔丁4〕、同〔丁8〕、〔乙56〕を取り調べ、その結果に基づきさらに原告隆を取り調べることにより、同年八月六日午後一〇時ころには原告隆は家におり、その後妹たちと一緒に同じ部屋に寝たことが判明したかを知れず、そして、そのことは、原告隆のアリバイが成立することを推認せしめる極めて重要な証拠であることが明らかである。

7 その他の捜査について

 ㈠ 《証拠略》によれば、原告隆は、昭和二四年八月二二日逮捕されて以来一貫して自分は犯人ではないと無罪を主張し続けたことが認められる。もっとも、甲第一六号証の一六(原告隆の司法警察員〔丙2〕に対する同年九月六日付供述調書)によれば、「去る八月六日のことについて此れ迄色々嘘を申上げ誠に申訳ありません。これから正直に申上げます。」との 記載に続いて、「此の時午後八時四十五分被疑者は室内から事件発生後一ヶ月犯行当夜の月を眺め全く善に立帰った表情を見せ、今度は謝まりますと過去の罪悪を今此処に自白せんとの態度で本職に申立した。」と記載されていることが認められるが、同調書の記載によってもその後原告隆は犯行を自白しているわけではなく、八月六日の晩は弘前市百石町の大和館へ『四ッ谷怪談』を見に行き、午後一〇時過ぎころ同館を出て家に帰って寝た旨本件犯行を否認する供述をしているのであるから、同供述調書中の前記記載は、警察官〔丙2〕の単なる印象を記載したにすぎないものというべきである。また、甲第一六号証の一一(原告隆の司法警察員〔丙10〕に対する同年九月三日付供述調書)によれば、「私が八月六日の午後一〇時二〇分に家に帰っておりますが、若しそれ以後他の何処かで私を見た人があればそれを認めます。又被害者の母が私であるというのであればそれも認めます。」 との供述記載があることが認められるが、右供述自体不自然で犯行の自白とはいえないうえ、同供述調書中の他の部分では、八月六日の晩は公園へ月を見に行き、午後一〇時二〇分ころ家に帰って寝たと述べながら、そのすぐ後の部分では、「私は八月六日午後一〇時一〇分ころ家に帰ったと今まで申し上げておりましたが、それは違うようであります」と述べるなど、同供述調書中の供述は矛盾していて極めて不自然であるから、前記供述部分をとらえて犯行の自白とみることは到底できないというべきである。さらに、《証拠略》によれば、原告隆は、「裁判の結果無期懲役になろうとどうなろうと裁判長の認定に任せます、控訴する気持はありません」と述べていることが認められるが、他方、同人は同供述調書中で、「自分は記憶のない点と証人のことで困っている」と、また、「八月六日の晩は大和館に『四ッ谷怪談』を見に行ったと思う」とも述べており、決して犯行を自白しているわけではないのであるから、前記供述をもって犯行の自白と見ることもできない。
 以上によれば、原告隆は、終始一貫して犯行を否認し、無実を主張したと見るべきである。
 ㈡ 《証拠略》によれば、本件白靴及び本件白シャツは、 昭和二四年八月二二日弘前市警察署勤務の司法警察員に押収されたもので、本件の重要な証拠物であったこと、原告隆は、逮捕以来公訴の提起された同年一〇月二四日までの間、本件白靴に血痕が付着しているはずはないと供述していたにもかかわらず、この間本件白靴を示されて取調べを受けたことは一度もなかったこと、本件白シャツについても、公訴提起前にこれを示されたうえ弁解を求められたことは一度もないばかりか、本件シャツに血が付いていることを知らされ、弁解を求められたのは、公訴提起の日である同月二四日が最初であったことが認められる。しかしながら、本件白靴と本件白シャツは、本件における最も重要な物的証拠であるうえ、原告隆は一貫して犯行を否認していたのであるから、検察官としては、このように重要な物的証拠については、なによりもまずこれを原告隆に示して弁解を求め、さらには反証の機会を与えるなど十分配慮のうえ捜査を尽す必要があったというべきである
 ㈢ 《証拠略》によれば、本件犯行に使用された凶器は鋭利な刃物で比較的薄く、刃の幅もあまり広くないうえ、それほど重いものではなく、また、刃渡りを推測するのは困難であるが、七センチメートル前後から一五センチメートルくらいまでと推定されること、検察官は凶器が大型ナイフであるとして原告隆を起訴したことが認められる一方、《証拠略》によれば、 原告隆は、昭和二三年五、六月ころ原告〔丁4〕からもらった小型の折込み式ナイフを持っていたことはあるが、それは同女が以前弘前師団司令部参謀長の給仕をしていたときに同参謀長からもらったもので立派なものであり、他にジャックナイフや大型ナイフを持っていたことはないことが認められ、他に