Page:EkiToJinsei.djvu/32

このページは校正済みです

る條項を參照し、能く其味を味ひて以て靜かに之れに處せんとする樣にするのが必要である。是れが筮法に由らずして易を用ひたものである。故に平生より熱心に易經を味ひ、能く聖人の心理に通ずる時は則ち易經を繙かずして能く萬變に處することが出來る樣になる。此れが易の活用である。虞世南擧して曰はく易を讀まざるものは宰相となす可らずと。乃ち這般の消息を言ふたものである。

 何人も處世上には相談對手を要するなるべし。易は最も老練なる相談對手たるべきである。易を中心として處世的智識を養成する時は活動の基礎を得ることと信ずる。勿論余は易を以て十全なるものとは信じない。人生の分類が十七といふも疑はしい。或は其れ以上であらう。經濟の如きが缺けて居るのも見える。然れども兎に角人生全般の意味を解釋せんとしたものが支那の古代にあつたことは實に面白い。易は吾人より見れば一種の處世學又は社會學の應用的方面を