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道理の順序であると云つて書いてあるけれども、夫は全然牽强附會の說で聖人が書いたとは思はれない。夫は兎に角易卦の排列夫れ自身に於て學理的でないと思ふ。所で六十四卦の順序は他の順序と取換へた方が宜からう、他の新らしい順序に排列せらるゝであらうと云ふ考えはどう云ふところから起つて來たかと云ふと周易を哲學として抽象して見たいと云ふ硏究の結果から出て來たのである。周易には上下經と其他に十翼と云ふのがある、十翼は普通の文章であるからして其十翼各篇に付て哲學を抽象することは容易く出來る、例へば上象下象、上象、下象、上繫辞、下繫辞、文言、說卦、序卦、雜卦の哲學のやうな工合に、各篇に於て其哲學思想を抽象することが出來る、夫れに依て十翼全体に亘つて抽象すると云ふことは出來ないことではない、所が上經下經になるとどうも一つに偏つて哲學系統として一種の思想を見はすことは出來ない、どう考へても上下經から哲學の系統を編出すと云ふこと