Page:Doitsu nikki(diary in Germany).pdf/98

このページは検証済みです

と曰ふ。その名一なりと雖、其實は相殊なり。大和會の集會には會則に依るに例會と臨時會との別あり。此別は開時の常と非常とより生ず。共性質は一なり。余は此集會に常に二要素ありて相鬪ふを見る。一は懇親會の要素なり。其目的會員相集りて盟を踐み歡を竭すに在り。二は會議の要素なり。會あれば會務を生ず。內會則に依りて秩序を整へ、外國法を守りて位置を堅うす。會員の進退、會費の出納、皆これに屬す。事務の決行には會議を要す。この二つの者、彼は逸して此は勞す。彼は論談を嫌ひ、他人の演說中飮啖し、私語又は高談し、席を離れ角觝するに至る。此は彼の反對者に妨げられ、意見透徹せず、或は逡巡して復た饒舌せじと云ふに至る。此の如く反對の性質を懷ける二要素の同時同所に相鬪ふあり。會の盛大を欲すと雖豈得べけんや。故に此敝を救ふは本會の急務なり。策に曰く。大和會の集會は宜しく二分して會議及懇親會と爲すべし。勞時には逸を顧みず、逸時には勞を忘る。以て兩つながら其所を得るなり。例之ば例會にして三時間を費さば、初一時間を會議とし、他の二時間を歡を竭す用に供すべし。會議時には整肅を事とし、懇親會の要素の來りて紊乱することを允さず、懇親時に至りては理窟を脫し、或は風流文雅、或は角觝擊劍、自由に快を取りて可なり。若し議項なきときは三時間を擧げて懇親會とす。或は曰はん。懇親は大和會の起れる所の主眼なり。會の集會は縱令三分一なりとも、時を眞面目なる議事に費し、議席に束縛せらるゝことを願はずと。然れども在獨逸日本人の大和會は、猶在獨逸魯人伊人等の結べる本國會のごとくならん。各〻外に在りて其愛國心を養成し忘失せしめざるを目的とす。魯人は「スラアウ」人主義、伊人は伊太利主義、日本人は大和魂是なり。豈特り擧杯相屬するのみを會の主眼とせんや。且會則に友誼の語あり。友誼は友情と底蹊あり。誼は義なり、義務なり。宜なるかな會則に相戒むと云ひ、謝絶除名の條あること。盖し大和會は尋常の懇親會にあらず。尋常の懇親會は單に禮法を守れば足る。而して直に國の警察法の下に立てり。大和會は否ず。一体を爲し、機關を形り、會則ありて之を連結し、之を維持す。是れ事を議することの止むべからざるに至る所以なり。若し强ひて大和會は普通の懇親會なりと云はゞ、請ふらくは彼會則を癈毀し去り、大和會の烏合の飮啖會なるを明にせよ。又曰はん。會務には幹事の在るあり。必ずしも衆と議せず。集會時間は唯ゞ懇親を事として可なりと。是れ虛言のみ。これを集會の歷史に徵するに。余之に陪すること